【万博】『いのち動的平衡館』 自分は何者か?という問い
今回は大阪・関西万博のシグネチャーパビリオンの一つ、『いのち動的平衡館』を体験して思ったことを書きたいと思います。
実は当初、万博にはあまり行くつもりはなかったのですが、、、福岡伸一さんプロデュースのパビリオンを体感してみたくなり訪れることに。
前に福岡伸一さんの本を読んで「動的平衡」という考え方を知り、夫婦のPodcast「みみとも」でなぜか牛丼の話から動的平衡の話に展開していった謎の回もあったり。夫婦共に知っていて、夫婦で関心を持っている考え方だったのが万博に行くきっかけになったのでした。
確固とした軸がある、と言い切れない自分
例えば転職活動する時に「軸は何なのか、軸を語れるように」と言われたり、今後のキャリアを描く時に「一貫性が大事」と言われたりしませんか?私が転職支援の仕事をしていた際も、大事とされていた考えでした。
確かに方向性があることは自分を導いてくれる道標になるけれど、、、一方で、一貫性をもって軸を定めることって、そんなに簡単ではないし、もしかすると自然なことじゃない場合もあるのでは。
私たちは日々、暮らしや仕事、誰かとの関係性の中で変わり続けています。
昨日まで全然気づかなかったことに、今日はハッと気が付く。昨日はこれを大切にしていたけれど、今日は違うことに心が動く。そういう変化は日常の中にいっぱいあるし、私たちはそんな風に変わり続けている存在だと感じる瞬間が日々たくさんあります。
…なので、「確固した自分」「軸」にあまりに価値や重きを置きすぎると、「定まっていない自分はダメなのかな」と不安になったり、葛藤を感じたりするような気がするんですよね…。
動的平衡館の中で観た、動き続ける光
動的平衡館では、光の粒子が常に動き続けています。止まって固定化する瞬間はなく、崩れながら新しい形をつくり続け、それでも先に進み続けている。
常に動的である、うつろいながらつくり続けているということが、視覚的に印象として入ってきます。

「動的平衡」とは、すごく単純化していえば「壊しながら作り続けることで安定している(いのちは保たれている)状態」ということです。
福岡伸一さんの言葉を借りれば、私たちのいのちは「破壊と生成のはざまにある」存在。これを視覚的に見たことで、自分はどんな風にうつろい、つくり続けてきたのか、自分自身のこれまでの変化にも思いが向きました。
自分の人生を振り返ってみると…
20代から30代前半の自分は、とにかく知識やスキルを身につけて、実績を積み重ねる、個をレベルアップさせることに夢中だったように思います。できることも増え、影響範囲や行動範囲も広がり、人とのつながりもどんどん広がって…、そういうことが楽しくて仕方がなかった。
誰もが形として認識できる事実や、目に見える現実的なもの(システムコーチング®では「合意的現実レベル」と言ったりします)を充実させるのが楽しい時期だったし、それを良しとする価値観を自分が持っていたと思います。
でも、30代半ば頃から少し質感の違う欲求が生まれはじめます。
自分の価値観にこだわるのではなく、他者の多様なあり方や考え方に触れ、その背景を深く理解しようとすることの面白さに惹かれるように。
興味関心の対象がどちらかというと、現実的なモノやコトよりも、その背景や深層にあるようなやわらかくて見えにくい部分になっていきます。
そこでは、時には自分が震えるようなインパクトや、揺さぶられるような影響も受けたりするのですが、より深い意味や本質に触れたい、理解したい(システムコーチング®では「ドリーミング・レベル」「エッセンス・レベル」と言ったりします)という自分の内側からの欲求に動かされている、そんな感覚です。
こうして振り返ると、〜30代前半までの自分と、30代半ばからの自分は、一度壊してつくり直してきたかのような変化でもあったような。固定した存在ではなくて、壊してはつくり直し変化し続ける、その繰り返しの中に自分がいるように思いました。
ゆらぎを肯定するということ
冒頭、「定まっていない自分はダメなのか」という不安や葛藤の話を書いたのですが、まさに昔は「私は○○屋さんです」と胸を張って言える、アイデンティティを語れる人がすごく羨ましかった記憶が。「私は○○の人です」っていうのがあったらいいのになと思っていた時期もありました。
もちろん今でも、明確な軸を持って突き進んでいる人には深い尊敬の念がありますが、逆に「ゆらぎながら変わり続ける自分」を認められるようになっている感じもあります。
動的平衡館で動き続ける光の粒子を見て感じたのは、「私はこれ!と決めなくてもいいんだ」ということ。
いのちの本質は常に変化し続けること。細胞は壊され、同時に生まれ変わっていくし、人間関係も一度築いた形を維持するのではなく、常に更新されるからこそ続いていく。そう考えると、「ゆらぐこと」「うつろうこと」を不安に感じる必要はなくて、むしろ、だからこそ変化を受け入れてしなやかに生きられるということなのかな、と。
「自分は何者なんだろう?」という問いに縛られすぎる必要はないし、答えを決めすぎる必要もないし、自分自身に問い続けながら、動的に揺らぎ変わりながら進んでいくことが、より「よく生きる」ことにつながるのかもしれない。そんなことを思った体験でした。

▼福岡伸一「いのち動的平衡館」公式サイト▼
https://www.expo2025-fukuoka-shin-ichi.jp/
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