【モンテッソーリ公開復習会レポート】 第9回 <モンテッソーリ教育ではなぜ”集中”を大切にするのか?>

モンテッソーリ, 公開復習会, 育児

今回の復習テーマ

AMI(国際モンテッソーリ協会)公認のモンテッソーリ教師である私たちが、時折開催している「Montessori Nature」というイベントの名前が商標登録され、それを機に改めてモンテッソーリ教育について学び直し、復習する時間を持つことに。

私たちの願いは、子どもとの関わりによって、子どもももちろん、大人も楽しく過ごせたらいいなということ。
この復習会を2人の中に閉じず公開したら、一緒に楽しんでくれる誰かがいるかもしれないという思いで、この企画を実施しています。

そして第9回目のテーマはこちらでした。

【第9回 モンテッソーリ公開復習会テーマ】
<モンテッソーリ教育ではなぜ”集中”を大切にするのか?>
〜 勉強の集中力があがるから!ではない。
その人がその人になっていくための”集中”とは。 今、デジタルメディアと集中の関係を考える。〜


復習トークサマリ

―集中とはどういうことか?

祐介:では、「子どもの魂を解放する集中の魔法ー本来のその人らしさへの道」ということで、前半の復習をしていきたいと思います。なんとなくモンテッソーリさんらしい表現ですね。モンテッソーリさんの言葉には、こうした表現がよく使われます。
集中には、その人がその人らしくなるような魔法みたいな力があるので、今日はそんなお話ができたらなという風に思っています。

恵子:まず最初に、モンテッソーリさんが色々な子どもを観察する中で、子どもが集中する姿を発見したというエピソードをいくつか挙げています。

公園で観察していた時に、赤い紙に集中して没頭し、触り続ける子どもの姿を見たり、あとは、この写真にあるような、円柱を穴にはめていく「円柱さし」という教具がモンテッソーリ教育にはあるのですが、ある女の子がこの教具をなんと42回も繰り返し続けていたということがあったそうです。42回ってすごいですよね。周囲の人が彼女の気を引こうとしても、全然集中が途切れず、それだけ続けていたという姿を目撃した、というエピソードがあります。

こうした子どもの集中する姿を見て、モンテッソーリさんは、集中力というのは大人が「集中しなさい」と外から言ったり、教え込んだり、「やりなさい」と言われて生まれるものではないと考えました。ある条件が整えば子どもの内側から自然と湧き出てくる、すごく内発的な力なんだという風に捉えたんです。

祐介:これがいわゆるパラダイムシフトですね。

恵子:この集中というのは、例えば机に向かって勉強に取り組むための学習スキルや、作業を効率化するためのものではありません。モンテッソーリ教育での集中というのは、「人格の創造」なんです。人がその人らしくなっていく、自分を作っていくためにすごく大切なプロセスであり、力であるという風に考えています。集中はまさに自己創造のプロセスの中で生まれてくるものです。

モンテッソーリ教育では、手を使うとか動きを伴うような活動を「仕事」と呼びますが、その活動に心も体も没頭していく。その中で、途中でつまずいたり間違いが起きたりすることもありますが、「次はどういう風に工夫してやっていこうか」と自分なりに試行錯誤しながら、その活動を繰り返し続けそこをまた超えていく。そのプロセスの中で生まれてくるのが集中であると考えられています。

なので、「集中こそが子ども本来の姿への道なのです」と書かれているように、活動の中で集中が生まれることによって、子どもが本来持っている姿や、その人の本質的な姿、その人らしい姿に近づいていくのだと考えられています。

祐介:今回の内容の中で、このページは一番大事なページと言ってもいいかもしれませんね。作業効率のための集中ではなく、集中によって自分自身を作っているんだという考え方ですね。

恵子:あと、集中している時に子どもが恐れなどから自由になります、というふうにも書かれています。
例えば、日頃何かを恐れるとか、不安に感じるとか、虚栄心や無力感といったネガティブな感情は人間には当然ありますが、集中して「ゾーン」に入っているような状態になると、そうした感情からも解放されて自由になれる。そういう意味でも、何かに囚われない本来の姿が現れてくるということになります。


―集中が起こる3つの条件

恵子:では、集中はどういう時に起きるのかということで、モンテッソーリさんは3つの条件を挙げています。先ほど、集中は外から言われて生まれるものではなく内側から生まれるという話をしましたが、内側からその集中を起こしていくためには、この3つの条件が必要だと考えられています。それが「環境」「自由」「時間」の3つです。


1つ目の条件は「整えられた環境」です。
置かれているものが子どもサイズ、つまり、子どもがその発達段階に応じて扱えるサイズのものであること。
また機能美があること、つまり美しいものだと、自然と触りたくなりますよね。子どもが本当に活動したくなるようなものが環境の中に用意されていること。

あとは秩序。どこに何が置かれているのか、どういうルールで置かれているのかが分かっていると、子どもは安心して自分で教具を選んで活動することができます。なので、環境の中に秩序が用意されていることが大事です。

さらに、教具は基本的に一つの種類につき1セットずつしか置かれていません。選択肢が多すぎると逆に集中を削いでしまうため、そうした制限もあります。

そして、これもモンテッソーリの中で非常に大切にされていますが、何か間違いやつまずきが起きた時に、自分自身でそれに気がついて訂正できる「間違いの自己訂正」ができる環境があることが大事です。大人が「違いますよ」と言うのではなく、自分自身で気づいて「じゃあ次はどうやってみよう?」と工夫しながらやっていける環境を用意しておくことが大切なのです。

祐介:環境へのアプローチは本当に大事ですよね。「これ、やってみたいな」と思える魅力的なものがその場にあることが大事だし、配置が決まっていることで「次は少し難しいのをやってみようかな」という時に、どれを選び取ったらいいかが自分で分かります。
今見てもらっている資料にあるような環境になっていたりします。

で、間違いの自己訂正っていうのがすごく大事で、自分で間違いに気づき、それをやり直していく過程で集中が生まれていくーこれはまた後で出てくるんですがー、それが自分を作っていくことに繋がっていくのだと思います。

恵子:条件の2つ目は「自己選択の自由」です。集中が起きやすいのは、自分自身で選んだ時です。大人が「これやりなさい」と言ったり促したりした活動では、深い集中は生まれない、ということで、自己選択できる自由が用意されていることが2つ目の条件です。

幼児期には「敏感期」と言われる、特定の分野に強い興味を引かれる時期がありますが、そうした内側から湧いてくる欲求やニーズに導かれて「やってみたい!」と選べる自由が必要だということです。
一方で、何でも無制限に無法地帯は良くない、という話を何回か前の復習会でも話をしたんですけど、放任するのではなく、一定のルールや枠組み、制限がある中で、安心して選んでもらえるようにします。秩序がある中で自分で選んでいくからこそ、没頭や集中が起きてくるのです。

3つ目の条件は「中断されない時間」です。
これは私も保護者の一人として難しいなと思っているところなんですけれども、、集中は活動を始めてすぐに起きるものではなく、時間がかかります。モンテッソーリのクラスだと、最低でも午前中の3時間は仕事ができる時間を確保すると言われています。十分な時間の中で活動する、それを繰り返していく中で、ようやく集中が起きてくる。その時間を確保することが大切にされています。

私もよくやってしまうんですけれども、大人の予定や都合で「ここで活動を終わってほしい」と声をかけてしまうことがありますが、大人のスケジュールでできるだけ集中を止めないというか、中断しないということは心がけたいポイントです。その欲求が満たされるまで、十分に時間を用意するのが3つ目の条件ということになります。

祐介:これが難しいですよね。我が家の子どもの場合、すごい不思議なんですが、夕ご飯の前とかに没頭し始めたりします。

恵子:幼稚園に行く直前とか、寝る前なんかにもね。

祐介:「これ、どうしようかな」みたいな感じになりますが、家だと生活のリズムもあるので。でも、できるだけ子どもが集中した時はそこ(中断されない時間)が守られるといいですよね。
以上の3つが、集中が起きる条件ということになります。


―子どもの姿から見える集中のサイン

恵子:では、集中している時、子どもには具体的にどんな姿が現れるのでしょうか。ここに、こういうことをしている時は集中ですよ、というサインをいくつか挙げています。

1つ目は目と手の協応です。先ほど、集中が起きる時は手を動かすなどの動きを伴うとお伝えしましたが、手を動かしながら視線が手元にフォーカスしている、視線がロックオンされているような状態ですね。
その他には、目の前の動きに集中しているので、その活動以外の無駄な動きがなくなります。
それから終わりがない、つまりエンドレスに何度も何度も同じ活動とプロセスを繰り返している姿が見られたり、さらに、活動しながら満たされているような喜びや真剣さが見られたり、あるいはリラックスして、無理なくその活動に取り組んでいたり。そうした姿を見た時に、「あ、これは今、集中が表れているんだな」というサインとして受け取ることができます。

祐介: 没頭しているような感じだよね。
この集中のサインについては、モンテッソーリ教師のトレーニングをする時にも、こうした現象が起きているかどうかを観察するトレーニングをしたりします。

例えば、YouTubeをずっと見ているとかテレビを見ているといった状態は子どもが集中しているように見えるけど、例えばモンテッソーリ教育ではどう捉えるんだろうね?

恵子:数年前に、モンテッソーリ教師をトレーニングするトレーナーであるジュディ・オライオン先生の講演があって、まさにその質問をしていた方がいたんですよね。「動画を見ている時の子どもは、画面を食い入るように見ていて集中しているように見えるけれど、あれは集中ですか?」という質問です。ただ、それに対して先生は明確に「ノー」とおっしゃっていました。「あれは集中ではない」と。

集中というのは、先ほどもお伝えしたように、手を動かすような動きを伴う活動です。そして身も心もその活動に没頭する状態のこと。
そこには間違いが起きたときに、「次はどうしよう?」と試行錯誤し、自分で訂正していくプロセスがあり、それを繰り返していく中で集中が起きていくものなので、画面の前で受け身の状態で一方的に情報を浴びている状態は、やはり集中ではないというお話がありました。

祐介:受動的に刺激を受けている状態は、たとえフォーカスしているように見えても集中ではなく、能動的に手を動かしながら没頭している「フロー状態」のようなものを集中と呼んでいる、ということですね。一見すると集中しているように見えてしまうんですけどね。


―集中から生まれるもの

恵子:そして「自己規律」という言葉が出てきました。これは前回か前々回かの復習会でも扱いましたが、今回もキーワードとして出てきています。

集中している子どもの姿が見られる時、何が起きているか。
目の前の仕事に集中して取り組む中で、失敗したり間違えたりしても工夫し、試行錯誤しながら完成させようと頑張ります。その時、自分の中で「次はこうやってみよう」と自分を律しながらコントロールしていく力が、これもまた内側から自然と湧き上がってくるのです。
集中も内側から生まれるものですが、同時に自己規律も生まれてくる。自分をコントロールしながら活動を繰り返し、それがうまくいくことで自己完成に向かっていきます。このサイクルが回ることで人格が形成され、その人らしい姿になっていくということです。

祐介:集中して没頭する過程で、「自分の思う通りにやっていきたい、完成させたい」という思いから内側に規律が生まれ、それができた結果として自由を手に入れるのですよね。
そして自由を手に入れるとまた次の選択ができ、さらに没頭していく。このプロセス全体が自分自身を作っていく、という考え方ですね。

恵子:その結果として何が起きるかというと、ここに本来の姿と書いてありますが、その人が本来持つ、満たされた穏やかな姿が現れてきます。不安や心配から解放されて解き放たれ、その人自身の本質が出てくるのです。

で、集中が終わった時には、深い満足感と他者を思いやる喜びが現れます。私たち大人も、何かに没頭した後は疲れを感じず、すごく満たされた気持ちになることがありますが、子どもにも同じことが起きています。自分自身が満足して満たされるからこそ、他の人にも優しくなれる、思いやることができるようになるということですね。

祐介:これは非常に面白いですよね。まず「自分が満たされること」があり、それが他者や社会に繋がっていくという考え方です。

去年、ワークショップでひとときの集中体験として「木を磨いて箸置きを作る」という活動をやったのですが、子どもも大人も参加してくださって、中には1時間ぐらいずっと磨き続けている人がいました。あれはまさに没頭の体験で、終わった後の皆さんの満足そうな、満たされた表情や喜びがすごかったよね。

ひとときの集中体験 木を磨いてみよう ワークショップの風景


恵子:本当に、満ち足りた!っていう感じだったよね。自分でどの角度で磨こうか、どこまで磨いて自分のつくりたい形に仕上げようか、試行錯誤したからこその満足感だよね。

祐介:きっとあの後のご家族との会話も、お互いを思いやる穏やかで優しいものだったのではないかと思います。


―子どもの集中のために、大人ができること、避けること

恵子:このように集中には素晴らしい効果があるのですが、実は大人がその集中を阻害してしまうことが結構あります。ということで、私も気をつけなきゃなと思っているんですけど。

まずは、不必要な介入です。
子どもが活動の中で失敗した時に、大人が「そうじゃない、こうだよ」と横から口を挟んでしまうと、子どものやり遂げたいという気持ちを削いでしまうし、集中が途切れるということになります。

次に、子どもを操作しようとする言葉。
次にやってほしい活動へ誘導するためにおだてたり、やってほしくないからと小言を言ったりするようなことです。これらは子どもの内側からの自己選択を促すものではなく、大人が外側からコントロールしようとする言葉なので、集中を破壊してしまいます。

さらに褒めることも邪魔になりますって書いてあるんですけど、モンテッソーリの環境では、先生たちはほとんど褒めません。褒めるというのも外からの刺激であり、褒められるために次の活動をする、という形になってしまうからです。
同じ理由でで賞罰も避けます。褒めや賞罰は、子どもが外発的な動機による動きになってしまうので、気をつけなければならないことの一つです。

親であれば純粋に「すごいな」と思った時に伝えたいのは当然だし、伝えるのは良いと思いますが、子どもを操作したりコントロールしたりする意図での言葉かけにはちょっと注意が必要だ、ということですね。

祐介: 自分を作るのは内発的なものからなので、そこに外発的な要素を入れてしまうと、本来の集中が生まれなくなってしまうという考え方ですね。ただもちろん、大人が本当に感動して「素晴らしいね」と言うのは良いと思います。

恵子: 大人は介入したくなる時もあると思うんですけど、待つとか、まず観察することが大事になのかなと思います。目の前の子どもが今何に興味があるのか、自己選択しているのか、集中しているのか、あるいは飽きているのか。
声をかけて介入して子どもを何とかしようとするのではなく、まずは待って状況を観察します。

最後のページではマリア・モンテッソーリの「光を投げかけてその場を去る」という表現が使われています。
全ての子どもは本質的には「自立したい」「自由になりたい」という願いを持っています。
もしかすると目の前の子どもは、例えば穏やかじゃないとか、癇癪を起こしているとか、乱暴な表現としているんだとかそういう姿があるかもしれないんですけど、いつか本来の姿を表していくんだということを信じること。
大人は子どもを直接コントロールしようとするのではなく、環境を整える、つまり環境を整えることによって光を投げかけ、あとは集中が起きているかをそっと見守る。これが私たちにできることなのだ、ということです。

祐介: 自己成長っていうか、自分で自分を作れるのが人間という生き物だ、というのがモンテッソーリ教育の非常に大切な信念ですよね。その信念で関わるんだけど、関わるときは環境に関わることで、子どもが集中し、自分で自分を作っていくのを助けるということです。


ーモンテッソーリ教育の集中と親和性がありそう? 〜 フロー理論 〜

祐介:ここまではモンテッソーリの話でしたが、ここからは私がこれに関連して「似ているな」と思った「フロー」という概念についてお話しします。

ミハイ・チクセントミハイ氏が研究してきた「フロー体験」です。没頭する体験が人の幸福を生んでいくという研究なのですが、モンテッソーリの集中と非常に親和性が高いと感じています。

チクセントミハイ氏は、物質的な豊かさは一定水準を超えると幸福度を押し上げないという「幸福度のパラドックス」を研究しました。では幸福は何によって生まれるのかというと、日々の日常的な経験の中にある「フロー体験」なのだと言っています。

彼が芸術家や科学者にインタビューしたところ、彼らが幸せを感じるのは名声や富ではなく、ただ「それを行うこと」自体にあることが分かりました。画家なら絵を描いている瞬間、科学者なら研究に没頭している瞬間そのものが生きる意味だと感じているのです。

フローの状態では、行為そのものが本質的な報酬となり、「自己目的的」になります。作曲家なら手が勝手に動いているように感じ、スケーターなら音楽と一体化する。高度な集中によって一時的に自らの存在が消え、行為と意識が完全に融合するような体験です。

そして、8000人以上の調査から導き出された「フロー体験の7つの条件」が、モンテッソーリの集中にそっくりなんです。

1.完全な集中:意識が極度にクリアになる
2.明確な目標:その瞬間に何をすべきかわかっている
3.即座のフィードバック:行動の結果がすぐわかる
4.困難だが実行可能:自分の能力で達成できると信じられる
5.時間感覚の喪失:時間の経過を忘れる
6.忘我の境地:自己への執着が消える
7.自己目的化:その行為自体が報いとなる

1〜4、これらはモンテッソーリで、目的を持って活動を選び、手を動かし、間違いの自己訂正をしながら成し遂げていくプロセスと全く同じです。さらに5〜7の点も、集中の特徴と一致します。

また、フローには挑戦とスキルのバランスが重要です。
縦軸に挑戦、横軸にスキルをとると、自分のスキルより少し高いものに挑戦している時にフローに入りやすくなります。モンテッソーリでも、何かができたら次に少し難しい活動に挑戦し、自己訂正しながらスキルを身につけていきます。
反対に、挑戦もスキルも必要ないものは「無気力」の状態になります。これが先ほどの受動的な刺激、例えばただ無自覚にテレビを見ているような状態に当たります。

フローを維持することは、絶え間ない人格形成と成長を要求します。同じレベルの挑戦を続けているとスキルが上がって退屈になってしまうため、常に新しい挑戦が必要です。モンテッソーリの整えられた環境が、まさにそれを用意しているのだと思います。

ここに「10年の法則」という話もありますが、自発的かつ自由にフローを引き起こすには、長年の技術的な没頭と修練が必要だと言われています。フローに入ること自体が人間の器を大きくするエンジンであり、人生を通してそれを繰り返していくことが人格形成や幸福感に繋がっていく。

さらにビジネスの文脈でも、ソニーの設立趣意書にある「真面目なる技術者の心が、高度にその隠れたる天分を発揮し得る」という言葉は、仕事を通じたフローによる幸福と自己実現、そしてそれが社会貢献に繋がるという、モンテッソーリの集中と共通する考え方だと読み解けます。
大人も子どもも、適度な挑戦がある局面で没頭に入っていくこと自体が、自分を作っていくことになるのです。

チクセントミハイ氏のフロー理論は1970年代、モンテッソーリは約100年前の1900年代初頭ですが、時代を超えて同じことを言っているのは非常に興味深いですね。
さて、ここまで集中についてお話ししてきましたが、ここからは皆さんの感想や、身近なお子さんのエピソード、気になった点などをお聞きしたいと思います。


最後に

今回も復習後の20分ちょっとの時間で、みなさんとお話することができました。

  • 集中を守ることが大切である一方で、社会的なルールを伝えていく必要もある。その矛盾や葛藤をどうしたら良いか
  • 子どもは雑然としている家の中でも好きなもので集中していることもある。やはり整理整頓された空間でないといけないのか
  • フロー体験は大人なら自らデザインできるが、学校や習い事といった枠組みの中にいる子どもとって、フローのデザインは周囲のサポートが必要ではないか

というご質問をいただいたり、

  • 大人の自分も期限が迫っていてお尻に火がついた状態の時にフローを発揮している気がする。「自分にできるちょっと上のスキル」くらいのことなら、この直前の集中力が発揮できるなと感じる
  • 夜中に本を読み耽っている時も、本人が自己選択して内側からの欲求で読んでいるのなら、それで寝坊しても本人の学びかな、と見守るようにしている
  • 時間や心の余裕がないと難しいなと感じる。親が変わらなければならない。自分自身がなかなか変われず、ポジティブな変化ができないことに日々悩みながら努力している

と、ご自身の体験をお話いただいたり。
声を出せる環境にいらっしゃったみなさんから、率直に声を出していただき、それを聴かせていただきながら私たちなりに思うことをお話させていただきました。

私たちも子どもに向き合う保護者のひとりとして、目の前で起きる様々な場面で難しさを感じて悩んだり、葛藤したり。時には「あんな風に関わるのではなく、もっと違うやり方ができたんじゃないか…」と後から振り返って反省したり。うまくいくことも、いかなかったなと思うこともあります。

でも、そこに意識を向けること、振り返って「今度はこうしてみよう」と考えること、時間的な余裕・自分のコンディションが許す時は子どもが自分で自分らしく伸びていけるようにサポートしてみること、その繰り返しと積み重ねを大切にしたいなと改めて思いました。
今月ご参加のみなさま、ありがとうございました。

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