動画を静かに見ている時、子どもは集中しているのだろうか?

モンテッソーリ, 日々の気づき, 育児

少し時間が経ってしまったけれど先日、国際モンテッソーリ協会(AMI)公認の教師養成トレー ナーであるジュディ・オライオン先生の講演会をお聴きしました。
この日のテーマは「親教育と子どもの人権について」ということで、国連でまとめられている子どもの権利条約をベースに、それぞれの権利にそって考え方や心がけることをお話されるスタイルでした。
私がこのセミナーを受けようと思った理由は”親教育”という点にあり、まさに子どもを持つ1人の親として色々教えていただく良い機会になったので、その中で思ったことや感じたことを記録しておこうと思います。


先生が講演会でベースにしていた子どもの権利条約の中に「自分の見方、意見、考えやアイデアを表現する」権利というのがあるのですが、その権利についてのお話の際に、子どもに対してではなく、(私が今ブログを書いているようなことも含まれるのですが)こういうプラットフォームやSNSなどでまさに「自分の見方、意見、考えやアイデアを表現している」大人や、あるいは閲覧したり利用している大人(親)に対して逆説的に語りかけられていたのが印象的でした。

「多くの親は子どもに対して『自分たちよりも良い人生を送ってほしい』と願っていると思うが、それなのにスマホ、SNSの仲間などをあまりに重要視して、子どもたちよりもそっちのほうに時間を割いてしまう。スマホが子どもよりも大切なはずはないのに。」

結構ドキッとする言葉ですよね。
これを聞いて、数ヶ月前我が家で食事中はスマホを触らないことを決めた時のことを思い出しました。当時まさにジュディ先生がおっしゃっていたようなことを思っていたからです。

私も夫も日々バタバタしていて、食事中にも「今ちょっと調べ物してしまいたいな」とか「仕事の急ぎのメール返したいな」とよく思うのですが、子どもと食卓を囲んでいて子どもと向き合える時間なのに、そういう風に一緒に過ごせる時間は有限なのに、子どもや家族でコミュニケーション取れる貴重な時間なのに、そしてこの時期の子どもは、体験するだけでそれをまるごと身につけてしまう”吸収精神”というものを持っており、私たちがするのと同じように子どももするようになるのに、目の前にいる人よりもスマホの向こう側にいる人に意識を向けていて良いのかなと思い始めて。。。

事情も考え方も色々なので、これが正解というのはないと思いますし、その時の状況に合わせた判断があって然るべきだと思いますが、私たちは夫婦で相談して、今の私たちの価値観では目の前の子どもや家族に向き合う時間、会話をしながら一緒に食事を取れる時間を大切にしたいね、ということになったところだったので、お話にしっくりくる感覚がありました。


ちなみにモンテッソーリ教育では子どもの”集中”をとても大切にしているのですが、そのスマホに関連して「子どもがスマホや動画をみているときに静かに見ているのは集中しているということなのか?」という質問が出ました。それに対するジュディ先生の回答は以下の通り。

・”集中する”ということは動きを伴う
・そして身も心もその対象に没頭する状態のこと
・そこには失敗も試行錯誤も伴い、その結果”集中”というのが現れるのであって、動画・画面の前で受身的に見ているのは集中ではない
・モンテッソーリ教育では、どこか体の一部を動かして、そして試行錯誤してマスターする、そのために繰り返すということを”集中”といっている

我が家はリビングにテレビを置いていない&Youtubeも子どもと一緒に見ないので、子どもが画面を通して何か動画を見るということがほとんどないのですが、確かに実家に帰った時などはテレビへの食いつきがすごい・・・!他のことが全く手につかないほど。でもそれは”集中”ではないというお話でした。


そういえば最近、子どもは登園時に、入り口の前に置いてあるバケツからひしゃくで水をすくったり、じょうろを使ったりしてプランターのお花に水やりをしたり、歩道に水撒きをしたりします。お友達が登園してきたり車が通ったりすると度々意識がそっちに向くので、没頭しているような”集中”状態には至っていないと思うのですが、その活動を長い時には15分ぐらいやっています。

大人としては正直「早く戻って仕事の準備したいなぁ」とか「次の予定の時間が迫っているんだけど・・・」と思ってしまうのですが(笑)、手を動かして道具を使って、うまく狙ったところに水をあげられなくてたくさんこぼしたり、自分の服や靴にかけてしまって濡らしたりしながら、それでも繰り返して活動すると、活動が終わったときにはとても満足そうな表情をして、「よし、自分がやりたいだけやってできた!中に入るぞ!」と入り口に入っていきます。

”集中”というのは活動している時の状態のことで、それは前述した先生のご説明の通りですが、水やりの活動を通して子どもの様子を見ていて思うことは、その”集中”の結果として子どもが受け取れるギフトは、自分が選んだことをやりたいだけやれたという満足度、達成感、それによる自分でできるという自信、自己肯定感なのかもしれないな、ということです。

私にとっては、毎朝自分の予定や急ぎたい気持ちとの葛藤の15分間なのですが(笑)、失敗しながらもやりきったという満足の表情を見ると、「今日も子どもが繰り返しやりたいという気持ちを邪魔せずに、15分待ってあげられて良かった」「また明日もできるだけ子どものペースで子どもがやりたいことをさせてあげたい」という気持ちになるものです。どうしても予定があって難しい時は、もちろん先生にお願いするんですけどね!

ジュディ先生の講演会ではもう一つ印象に残ったことがあったのですが、書いていたら思いの外長くなってしまったので続きはまた次の記事で。

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