モンテッソーリ的にお家でできること、しない方が良いこと

モンテッソーリ, 日々の気づき, 育児

少し時間が経ってしまったけれど先日、国際モンテッソーリ協会(AMI)公認の教師養成トレーナーであるジュディ・オライオン先生の「親教育と子どもの人権について」という講演会をお聴きしました。
“親教育”という点で、まさに子どもを持つ1人の親として様々教えていただく良い機会になったのですが、その中でも印象に残ったことや思ったことの記録・後編です。


前編に加えて先生のお話でもう一つ印象に残ったのは、親として家庭でできる関わりについて。

*モンテッソーリの子どもの家と家庭では環境が違う。だから、モンテッソーリの教具を買って家に置き、親が教師の役割をするというのは違う。
*親だからこそできる関わりがある。先生役になるのではなく子どもにとってはお父さん・お母さんでいてほしい。
*ただし、モンテッソーリの考え方に基づいて、お家でできることはある。
 例えば、
 − 「AかB、どっちにする?」というように選択肢を与える
 − 子どもが集中している時は、中断させないように手も口も出さない
 − 間違っていたとしても、生命に関わる間違いでない限りそれを見守る
 − 子どもに本を読んであげる。豊かな表現を知ることにつながるし、
    子どもが本を自分で読めるようになったとしても、親が子に本を読ん
    であげる時間は格別なものである
 など。


今ちょうどモンテッソーリ教育を学んでいる私には、やはりモンテッソーリ教具は魅力を感じるし、目的や意味も理解できるので、教具を使って子どもにできることもあると思うけれど、教えるという”先生”的な関わりよりも”親”という立場で関わっていくことが大切だそうです。
なぜなら”お父さん・お母さんとして関わる”ことは、「受け入れられている」「無条件に愛されている」という子どもの安心感につながるから。そしてそれは、これから先どのようなことをすることになっても全ての基盤となる、情緒面での安定につながっていくということでした。

ただ、その”お父さん・お母さんとして関わる”中で、モンテッソーリの考え方を取り入れてお家でできることはありますよ、といくつか先生がアイディアをお話されていたので、上記のアイディアをベースに今私がやっていることを振り返りつつ、日々子どもと一緒に過ごす中でどんなことができるかを考えてみたいと思います。


「AかB、どっちにする?」というように選択肢を与える

我が家では朝の登園前に、その日着て行く洋服を1歳の息子に自分で選択してもらっています。でもまだ一度に全部選んでいくことはできないし、全部見せると色々気になってしまい気が散って選ぶことができなくなるし、その結果、洋服で遊び始めたりして”洋服を選ぶ”という目的が達成できなくなってしまうので、今はアイテムごとに1つずつ順番に選んでもらうようにしています。

①長袖Tシャツ
②スウェット・パーカー・ニットなど
③ズボン
④靴下
⑤上着
⑥帽子
⑦靴


書いてみると、毎朝洋服だけで7回選択の機会があるんですね。。冬は着る枚数も多い=選ぶものも多いので、毎朝子どもにとってはひと仕事です。
大人は毎朝これをサラッと5分ぐらいでやってしまえるのですが、1歳の子どもが7つのアイテムを選び、それを一つずつ身につけるのはとても時間がかかります。

我が家の1歳の息子はまだ選択肢が多いとスムーズに選べないようなので、基本的にそれぞれのアイテムを2択にして「AかB、どっちにする?」と聞いていますが、選べない時もあるし、どちらも嫌だと首を振る時もあるし、そもそもお着替えモードにならずなかなか選んでもらえない時もあるし・・・といった感じで、最初のアイテムを選び始めてから全ての着替えが終わるまではだいたい30分ちょっとぐらいかかっているかなーという感覚です。子どもにとってもひと仕事ですが、大人にとってもひと仕事(汗)。

でも最近は、選択肢として出しているもの以外を「これ」と指差してリクエストされることもあったりして、だんだん自分の意志が育ってきているんだなーなどと成長に気付けたりもしますし、大人の意図していないものを選んでくる日は「今日は上から下まで全身青一色だね」とか「今日は柄 on 柄とか、色がチグハグでかなりヘンテコなコーディネートだね」とか面白い組み合わせに出会えたりします(笑)


洋服を選んでもらう以外にも選択肢を与えられるチャンスは1日に何度もあると思います。

・ご飯とパン、どっちにする?
・自転車で行く?歩いて行く?
・この絵本とこの絵本、どっちを読もうか? など

私たち大人も、誰かに「はい、これやって」と勝手に決められてしまうよりも、自分で食べたいものを選んだり、着たい洋服を選んだり、自分が読みたい本を選んだり、自分が欲しいものを買ったりしたいように、自分の意志で選ぶということは子どもにとっても嬉しいことだろうと思うので、できるだけ選択の機会を作れるように心がけています。

大人の都合で言えば、(朝出かける前のバタバタの時は特に)自分が決めてしまった方が早いしスムーズなので、私は選択肢を作ることそのものよりも、子どもが選択できるまで待つ時間を十分取れるように毎日時間をやりくりすることの方を意識しているかもしれません。


子どもが集中している時は、中断させないように手も口も出さない

例えば、子どもが何か絵や文字を一生懸命書いていたり、積み木をつみあげて何か作っていたり、紙を切り貼りするような細かい作業をしているような時、「今何やってるの?見せて見せて!」とついつい声をかけたくなったり、「こんな風にやってみたら?」と口を出して一緒にやりたくなったりしませんか?

前編でも書いたように、モンテッソーリ教育では”集中”をとても大切にしています。0~6歳までという期間は自分自身を作っている発達段階であり、自分が納得いくまで集中して活動したい時期のため、子どもが自分で選んだ活動を”集中”して行っている時間というのは発達にとって重要と考えられているからです。
子どもが何かに集中して取り組んでいる時は、自分を作っている時。つまり、その”集中”を妨げてしまうことは、子ども自身が人間形成しているのを邪魔してしまっているということなのだそう。

何をやっているんだろう?と気になったり、一緒にやったら楽しいんじゃないかな?と構いたくなったり、そもそも集中していることに気づかずうっかり声をかけてしまったりすることもよくあるのですが、”集中”をみつけられた時は「あ!今集中してるかも。静かに見守っていよう」と子どもが自己建設している大切な瞬間を守ってあげられたらなと思います。


間違っていたとしても、生命に関わる間違いでない限りそれを見守る

子どもが何かを間違えた時、「ちがうよ、こうやってやるんだよ」と正しいことを教えてあげることはありませんか?
正しいことをインプットするのってとても大事なような気がするのですが、子どもが自分の力で一生懸命がんばってやったことを、仮にそれが正しくなかったとしても「それは違うよ」と間違いを訂正することは、「自分はできない子なんだ」「大人の助けを借りないと何もできないんだ」というメッセージとして伝わってしまうそうです。

また、まだ間違っていなくても、「このままだと失敗しそうだな」と予測できる時、大人は先回りして止めたりしたくなりますよね。私もよくあります。
例えばご飯を食べている時に、「そんなに机の端っこにコップ置いたら落ちて中身こぼれちゃうよ」と予測できたらコップの位置を直したくなるし、ご飯やおかずの食べかすがいっぱいこぼれたランチョンマットが今にも床に落ちそうになっていたら、その後の大惨事と後片付けの大変さまで一瞬で想像できてしまい、そうならないように回避したくなります。

でも、子どもは自分で間違いに気づける力があるというのがモンテッソーリの考え方。何かをこぼしたらそれを見て「こぼしちゃったな」と気がつくことができるけれど、大人がいつも先回りして回避していたら「どういう風にすると何が起こるのか」「そうならないためにはどうしたら良いのか」にいつまでも気がつくことができません。
間違っていても(間違いそうでも)危険なことでなければ見守る、というのは言葉で言うと簡単なようですが、実際には手を出したくなる気持ちとの間で結構葛藤があったりして難しかったりします。

でも、心がけているとできることもあります。
簡単なことで言えば、本人が履いたズボンが前後逆でも、ズボンを2枚履いていたとしても、靴が左右逆でも、右と左で違う靴を履いていても、洋服が裏返しだったとしても、間違いを訂正せずにそのまま見守ることです。
私は、朝出かける時にもしその状態だったらそのまま保育園にいくことにしています(笑)

(↓ この日はズボン2枚履き)


子どもに本を読んであげることは豊かな表現を知ることにつながるし、親が子に本を読む時間は格別なものである

本を読むことについては、少し違った切り口ですが以前別の記事に書いたので、今回は割愛します。

(↓ 以前の記事はこちら。)


試されているのは大人かも!?

ジュディ先生の講演会でいただいたアイディアを元に、モンテッソーリの考え方に基づいてお家でどんな風に子どもに関われるかを書いているうちに、結局は私たち大人側の余裕や器が大事な気がしてきました。

・選択肢を与えて、子どもが自分の力で選べるまで待っていられる余裕
・子どもが何かに集中している時、手も口も出さずに見守っていられる余裕
・子どもが間違っていても、本人がいつか気づくのを待てる余裕
・間違わないためにはどうすれば良いのかを、いつか本人が発見するまで待ってあげられる余裕

大人は子どもに何か教えてあげなければと思ってしまいがちですが、子どもに与えようとする前に、上記のような余裕を持って子どもたちに日々関わることができているのかどうか、自分の状態を整えることが一番大事なのかもしれないし、自分たちの器が試されているのかもしれませんね。


(↓ 参考:前編のブログはこちら)

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