【モンテッソーリ公開復習会レポート】 第7回 <子どもの育ちのために大人ができること、大人の役割ってなんだろう?>
今回の復習テーマ
AMI(国際モンテッソーリ協会)公認のモンテッソーリ教師である私たちが、時折開催している「Montessori Nature」というイベントの名前が商標登録され、それを機に改めてモンテッソーリ教育について学び直し、復習する時間を持つことに。
私たちの願いは、子どもとの関わりによって、子どもももちろん、大人も楽しく過ごせたらいいなということ。
この復習会を2人の中に閉じず公開したら、一緒に楽しんでくれる誰かがいるかもしれないという思いで、この企画を実施しています。
そして第7回目のテーマはこちら。
【第7回 モンテッソーリ公開復習会テーマ】
<子どもの育ちのために大人ができること、大人の役割ってなんだろう?>
〜 モンテッソーリでは怒らない?それってほんと?なぜ? 〜
復習トークサマリ
―モンテッソーリ教師とは?大人中心の教育から子ども中心の教育へ
恵子: 今日の資料はモンテッソーリ教師(大人の役割)っていう風に書いてあります。教師のトレーニングセンターに通っていた時の資料なので、モンテッソーリ教師みたいなタイトルになってるんですけど、子どもに関わる親として、とか、大人の役割とも重なる部分があるので、そういうところを中心にお話をしていきたいなと思っています。
祐介: そうだね、教師だけのところは割愛しながらお話をしていければというところと。あと、教師、大人の役割って書いてありますが、モンテッソーリ教師を学ぶ上では、モンテッソーリ教師という教師の役割と、親の役割りってまた違ったりしますっていうのもあって。教師はね、やっぱりガイドしていくみたいなところに割と重心があったりもしますけれども。親はガイドというよりも、子どもがお家にいて、本当に安心して、そこが自分の居場所でいいんだ、ここがいいんだっていうところを提供するのが大事だよなんて言われているので。なんかそういうことの方を大事にしつつ、とはいえ、こんな関わり方もあるかもね、みたいなそんなスタンスで聞いていただけると良いかなと思います。
恵子: モンテッソーリ教師とはっていう風に最初書いてあるんですけど、実はモンテッソーリさんという人は教師という言い方をあまり好まなかったという話があって。教師って、子どもに何かを教えるとか、教え込むみたいなニュアンスがあったりするんですけど、ディレクトレス、導く人とかガイドみたいな言い方をよく好んで使ったっていう風に言われています。
で、それはなんでかっていうのがこの次のところにあるんだけど、モンテッソーリ教育って、モンテッソーリさんが勝手に考えた教育っていうよりは、子どものことをすごく科学的に観察したら、子どもってこういう生き物なんだっていうことが分かってきて。だとすると、こんな風に関わるのがいいんじゃないかっていう風に導かれた教育法っていう風に言われています。
じゃあ、どういう存在なのってざっくり言うと、全ての子どもは知りたいとか、分かるようになりたいっていう欲求を持っていて、だから子どもは自分で自分を教えることができる、自分で自分のことを育てることができる。そういう自己教育力があるっていうことが分かってきたっていうのがあって。そのためにどう関わるかってのを考えてきた人です。なので、大人が教え込むっていうことではなくて、子どもが自分で育っていけるように、援助するとかガイドするとかそういう存在だよねっていう風に考えたというのがベースであるということです。
なので、下に書いてあるんだけど、子どもは自分で育っていく力をもうすでに持ってるから、子ども自身が一生懸命集中して、自分で試行錯誤して、もし間違ったらどうしたらいいかなっていうのを自分で訂正しながらやっていくっていうことが育ちにつながるので、それを援助していく。そんな関わりをしていくっていうのがモンテッソーリ教育です。
つまり自己教育って、その子どもが自分で選択して自分で活動して自分で伸びていくっていうこと。そのサポートをするのが大人ですよっていう風に位置づけてるっていうことです。
そして子どもにはそういう力があるんだけど、一方でその自分で育っていく力を妨げてしまうものっていうのがあって。
ここにいくつか書いてあるんですけど、過干渉とか、過保護とか、子どもが必要としていない助けをするとか、放任しちゃう、代行しちゃう。あと、完璧主義とか。この辺りはその子どもが自分で育つ力があるのに、その機会を奪ってしまうというかね。そういうことにあたるので、これらは妨げになるということで、ちょっと気をつけなきゃいけないっていう風に考えられてるね。
祐介: その言葉を聞きながらすごいドキドキ。
恵子: ドキドキするよね。
祐介: ドキドキ。ちょっとやっちゃうな、みたいな。あと、完璧主義みたいなのも、結構大事な側面かな。そうでなくていいんだ、みたいなこともすごく大事だなと思うし。
なんか、そういうことは子どもの仕事を軽んじるんだ、って結構強い言葉で言ってるよね。子どもの自己発達、自己教育をすごい信じてるってそんな感じの考え方だよね。
恵子: 多分それまでの時代って、大人がこういうものを子どもに提供した方がいいっていうのを大人が決めて教え込むみたいな時代だったところから、子ども中心の教育へっていうことで、ちょっと変換が起きたっていう感じです。
祐介: そうだね、パラダイムシフトしたって感じだね
―子どもに良い関わりができる大人でいるために ①知識・実践編
恵子: 次に、良きモンテッソーリ教師になるためにって書いてあるんですけど、子どもに良い関わりをするためにみたいな観点で、一緒に見ていただけたらと思いますが、まずは、知識面、実践での準備っていう風に書いてあります。知っておくことか、やっておくと良さそう、知っておくと良い概念みたいなそういうことかなと思います。
1個目、発達心理学を学ぶっていう風に書いてあって。さっきモンテッソーリさんが子どものことを観察して、子どもってこういう生き物なんだって発見しました、とお伝えしたんですけど、発見したいくつかのことがここに書かれています。
- 人間の傾向性って言って、これは子どもに限らずなんだけど、人間が持っている特徴
- 発達の4段階とあるけど、24歳までで大人になるっていう風にモンテッソーリ教育は考えられていて、どんなステップで育っていくのかみたいなこと
- 吸収精神、敏感期っていう、主に0から6歳ぐらいまでの子どもたちだけが持つ特別な力
- 観察の仕方とか、環境を整えること
とかって書いてあるんですけど、この辺りは実は、前回までの復習会でテーマとして取り扱ってきていて、文字起こしして記事化されてるものがあるので、関心があったら是非そちらも見ていただけると良いかなという風に思っています。
これらを知っておくと、関わる手前のところでこういうことなんだってことがまず土台として分かるっていうことで、それを分かっておくといいよねっていうのが書かれています。
そして、それらを分かった上で大人ができる大事な関わりとして置かれてるのが、環境を整えるっていうことがあります。環境整えることについても前回か、前々回ぐらいでやったので詳しくは記事の方見てもらったらっていう風に思ってるんですけど。
ポイントはですね、ここに参考って書いてあって。これモンテッソーリ教育のトレーナーの先生の言葉なんですけど、
「子どもをコントロールしようとしないで、環境をコントロールしなさい」
っていう風に先生がおっしゃっていて。なので、子どもにこうなって欲しいって何か押し付けるとか教え込むとか、子どもを操縦しようとするっていうことではなくて、子どもの周りにある環境側を大人はコントロールしてくださいっていうことを言っています。そこは結構大事にされているね。
祐介: そうだね。そこが適切な環境だと、そこでやっぱ自己教育をできていくから。なんかそっち側に働きかけた方が、まずはいいんだよっていうのが、大きな考え方としてあるって感じね。
恵子: 教師に関するところはいくつか割愛するとして、6とか7あたりはちょっと大人としての関わりみたいなところとも重なるかなと思うんですけど。
モンテッソーリ教育の中で、子どもの集中を守るっていうことは結構大切にされてます。
これはなんでかっていうと。さっき子どもに自己教育があるっていう話をしたんですけど、子どもが集中して何かを活動している時っていうのは、その活動を通じて自分自身を作っている、つまり自分で自分を育てているっていうまさにそのタイミングだったりするので。それを邪魔してしまうっていうのは、その子の育ちを止めちゃうっていうことなんですね。なので、集中が起きた時はそれを守るっていうことをすごく大事にしています。
祐介: うん。それは大人もそうだし、子ども同士の時もそうだよね。
大人だとね、なんか「もうちょっと、こうやって、こうやったらいいんじゃない?」とか言いたくなるんだけど、それは集中を止めることだったり過干渉だったりとかするし。
そんなことを言いながら、昨日僕の子どもに、「包丁をこうやって持った方がいいんじゃないかな」みたいなことを言っちゃったんだけど。なんかそういうのもあんまやりすぎない方がいいみたいな話があったりするよね。
恵子: そうだね。やっぱり集中しながら、自分で自分の間違いの訂正をしながら成長していくから。関わり方としては、そこを邪魔しないっていうのがある。
祐介: なんか今話しながら思ってるのは、我々もこういうモンテッソーリとかやってると、よく聞かれたりすることがあって。例えば、ご兄弟がいる家庭だったりとかすると、じゃあ仮にお兄ちゃんと弟ちゃんだとした時に。お兄ちゃんがなんかレゴとかブロックとか作ってる時に、弟ちゃんが突っ込んできて全部壊すみたいなこととか。弟ちゃんがやってる時に、お兄ちゃんがねってみたいなことがあったりして。なんかそういうのってどうする、どうするのがいいのかねみたいな話があったりするけど。モンテッソーリの側面から行くと、そこはやっぱりちゃんと守るんだよね。
例えば、お兄ちゃんがそれに集中しているみたいなことあれば。その時にはもう、そのお兄ちゃんの集中を守って、そこには弟ちゃんを入れないようにする。そこに入らないようにするとか。逆もしかりで、そこはちゃんと自分のスペースとしてちゃんとそこを守ってあげるっていう関わりを。大人としてはガイドするというかね。
恵子: 今の話は多分次の話とも繋がってきて。7番に、秩序へ導くって書いてあって、その中に前提と制限を明確にするとか、ルールを発揮させておくみたいなことが書いてあるんですけど。まさにそれとも繋がる話だね。今の話で言えば。
その、例えばご兄弟がいたとして、お兄ちゃんはこういう、時間的なものなのか、エリア的なものなのかわかんないんだけど。そこをきっちりルールとして持っておく。
そうすると、本人も安心して活動ができるってこともそうだし。もう一方の下の子も、そこはこういう時間なんだとか、こういう場所なんだっていうことが分かる。ルールが分かるから、ルールが分かりながら自分で動けるっていうことが起きるので。そういう風にこう秩序立てておくとか、ルールとか制限とかを作っておく。で、それを事前に伝えておくみたいなことは結構大事。
祐介: これもなんかその環境側に働きかけるとか、環境を整えていくみたいな発想から来ている関わりみたいなね。
恵子: 次のも教師の話なのでちょっとここは飛ばすとして、今までが知識とか、実践で、こんなことを準備しておくといいよねみたいな話です。
―子どもに良い関わりができる大人でいるために ②精神・倫理編
恵子: つぎに、精神的、倫理的な面って書いてあるんですけど。なんて言うんですかね、子どもに関わる時の大人のあり方みたいな感じで、聞いてもらえるといいかなと思うんですけど。
1つ目、己を知るって書いてあって、 大人もとはいえ完璧じゃないので、悪いところとかできないところとかも、いっぱいあるんですけど。そこも含めて、自分のことを客観的に見て、自分ってこういう感じなんだって知っておく。我が身をまずちゃんと知っておくということ。
2つ目は、謙虚であれって書いてあります。とはいえ、怒っちゃう時とか、自分のプライドが大事になる時とか、ちょっと抑圧的になっちゃいそうな時とか色々あるんですけど、そういうことにちょっと意識的に、意図的になるということ。
3つ目は、子どもたちは育っていった結果、大人になっていくので。こんな風な大人に自分たちもなりたいなと思ってもらうみたいなことも含めて、魅力的で親切な存在であるっていうこと。
威厳を持つとも書いてあるけど、これはどっちかっていうと教師側の話かなと思っていて。子どもと教師ってお友達ではない、教師という役割の中で、ある程度の威厳も必要だよねっていう意味合いで書かれてるのかなと。
保護者とかね、そういう存在としては、魅力的とか親切な大人であるみたいな。そういうあり方が大事かなっていう気はしています。
祐介: ちょっと抽象的な話になっちゃうかもしれないけど。子どもと大人の関係性みたいなとこでいくと、子どもも大人も同じ人間だよねみたいな話の中で、大人というロールを持ってるというか、大人という役割を持ってるよねという感じかなと思ってて。そういう役割を持ってるだけなので。
もちろんね、欠点はあるし、怒りたくなっちゃう時もあるけど。別にね、完璧であるって思ってるとなんか完璧な人間だからちゃんとやらなきゃとか、そういう風になっちゃうけどそうでもなくて。
ロール(役割)として持ってると捉えれば、必要以上にプライドを出す必要もないし、以上に怒る必要もないしとか、なんかそういう感覚だったりとかするかな。
とはいえ、大人としてのロール(役割)があったりするので、ガイドするためには、一種の威厳もあると良いかもね、みたいななんかそういう感じのイメージかな。感覚で言うとね。
恵子: 最後に想像力と信念を持つって書いてあります。
子どもには自己教育があるので、その人はその人らしく育っていくんだっていうことを信じながら関わるみたいなそういうことが大事ですねっていうことかな。
という、あり方みたいな話がここまです。
―子どもに関わるときの心得
恵子: で、このノートの心構えみたいなのが書いてあるんですけど。
1つは、環境を整える、さっきも出てきましたね。子どもは自分自身で自分を育てていく力があるので、そのための環境を大人としては整えるということ。
あとは、これもさっき話が出てきましたけど、集中して活動している時というのは、子どもが自分自身を作っているまさにその時なので、その集中を守ること。ここは大事にしたい心構えの2つ目としてあります。
3つ目はちょっと教師の話なので割愛しようかな、なので、一旦、前提の考え方とか、こういうスタンスですよみたいなところはここまでで。

―モンテッソーリ教育では怒りたい時、介入したい時ってどうするの?
祐介: とはいえ、実際の関わりの場面でどういう風に考えるんだろうね、みたいな話をちょっとここからしていけるといいかなと思っています。
まず1つしたいなと思うのは、今回のタイトルにも確かあったけど、モンテッソーリ教師って怒らないの、みたいな話をしたいなと。モンテッソーリ教師って怒らないんだよね。
恵子: 怒らないね。
祐介: 考え方としてはやっぱり怒らないっていうのがあって。なんかその辺ってなんで怒らないんだっけ?みたいなところをちょっと話せるといいかな。ちょっとこの怒ることについては皆さんにも後で聞いてみたいけど、 一旦モンテッソーリ的にはみたいな話。
恵子: そう、モンテッソーリ教育の環境の中では、基本的に起こるということはしなくて。理由は、怒るというアプローチが、シンプルに言うとあまりメリットがないっていうことです。
さっき発達心理学として知っておいた方が良いっていういくつかの項目の中に、「吸収精神」っていうワードが出てきて、これ何回か前にやったんだけど0から6歳までの子どもって、その「吸収精神」っていう特別な力を持っていて。自分の周りにある環境の中のものの印象を、カメラでパシャって撮るかのように吸収しちゃうっていう特別な力があります。
その力を持っていると、例えばなんか感情的に何かを怒られた時っていうのは、そのうわーって感情的に言われ、怒られたっていう印象だけが吸収される。なので、その言われている中身は逆に言うと残らないっていうことが起きる。だから、大人としては何かを伝えたくて怒ってるはずなんですけど、それは伝わらなくて、怒ってるというただその怖い印象とか、わーって言われたっていうことだけが残るっていうことなので、その伝えたい中身の方が。結果的に残らないっていうことで、その怒るというアプローチはあまり意味がないっていうことになります。
祐介: 本当は何か理由があって、伝えたい、伝わる必要があることがあって、で怒ってるんだけど。その怒ってる感情的な印象の方だけ伝わっちゃって、大事な、あ、これはなんでそういう話になってるのかなみたいなところは全然伝わらなくなっちゃってるみたいな話だね。
むしろ伝わるのは、あ、なんか大人って怖い生き物なんだなとか。なぜかわからないけど、なんか、自分ってダメなんだなとかそういう方だけ残っちゃうので。その感情的に怒るっていうのは、子どもの発達にはあまり役に立たないという感じだよね。
恵子: うん、そうだね。ま、そうは言ってもね、怒っちゃいたくなる時もあるけどね。
祐介: うん。もちろんね。いや、怒ってるけどね。なんかだから、どういう風に関わるといいみたいなのってあるかな。怒りたくなった時っていうか、モンテッソーリのベースとしては。
例えば、おもちゃ出して遊んでいて、そろそろ片付ける時間だよとなって片付けないみたいな時とかよくあるじゃない。それって「もう片付けなさい」みたいなこと言いたくなるけど。そういう時ってどういう風にするといいのかみたいな。
恵子: 多分そのモンテッソーリの環境だと、「片付けなさい!」って命令して強くアプローチするっていうよりは、「もう片付けの時間だよ」っていうことを伝えて。で、「片付けの時間だよね。自分で片付けできる?それともちょっと手伝いが必要?」みたいな感じで言うとか。そういう多分普通のトーンで、普通に事実を伝えるみたいな感じの関わり方が多分されるのかな。
祐介: そうだよね。そこの何を今話そうとしてるのかってことが伝わるためには。割と、冷静とは違うかもしれないけど、ちゃんと伝えるみたいなことが大事だよね。
恵子: うちの子どもはご飯中に結構よく席を立っていろんな場所に動いたりとかするんだけど、これも何度も繰り返し行われてることなんだけど、例えばその時に私が感情的に「もう座ってって何度も言っているでしょう!」って言ったとしたら、多分そっちの感情的な方しか印象が残らないので。普通に「ご飯の時は椅子に座って食べるんだよ、座ろうね」ってただそういう風に声をかけるみたいな。そんなアプローチを多分モンテッソーリ環境だとするっていう感じかな。できるかどうかは別として笑。
祐介: そういうことだよね。でも、とはいえ、なんかすごい感情的になっちゃいそうとかさ。なんかいろんな感情が湧いてきちゃうんだけどみたいな時にどうすればいいのかみたいな話ってあるのかね。
恵子: 感情的になりそうになった時ね。
私が去年ぐらいに学んでいたモンテッソーリのコースの先生が、そういう感情的になりそうな時のTipsよって教えてくれたのは、「感情的に言葉を出しそうになった瞬間に、この言葉は義理の母に言えるだろうかって1回考えてみなさい」って言ってました。で、言えないと思ったら言わないのよって。うわーって出そうになった時に、義理の母に言えるのかっていうことを考えてみなさいって言ってました。
祐介: なるほどね。なんかそんなTipsもあるそうです。
怒るみたいなところもそうだし、あとは関わりでいくと賞罰みたいなのもあるよね。モンテッソーリ教育では賞罰で関わらないみたいなことも言っていて。これをしないとなんか罰を与えるよとか、これ買ってあげるからこれをやりなさいとかね。
なんかね、やっぱりそういう風に言いたくなる場面ってたくさんあるけど。でもそれって大人の都合で動かすみたいなやっぱり発想になってしまうので。大人の都合によって、褒めるとか罰を与えるとか、なんかそういうのはやっぱりNGだよねみたいな考え方があってね。
あと褒めに関していうと、よくモンテッソーリ教育って褒めないみたいな話もあるけど。いろんな褒めるパターンみたいなのもあるなと思っていて。僕なんかだとシンプルになんかこれすごいなとかこれうまいなと思ったら、それはそう言って相手を動かしたいわけではなくて、単純に感動から。それは普通に伝えたらいいんじゃないかなっていう風に思うって感じかな。
恵子: 大人同士でもすることだよね。すごいなって思った時にすごいねって言うっていう。
祐介: うん、ね。だからその関わりによって動かそうみたいな発想だと違うけど、シンプルに思ったらいいみたいな感じだよね。
あと罰の方で言うと、これは罰じゃないか、いいのかどうかわかんないけど。僕の場合は、なんか「そんな風に言われちゃうと動けなくなっちゃうな」みたいな感じのことは普通に言ってるけどね。気持ちを伝えてるみたいな感じかな。
怒るとか罰とか、皆さんにもその感覚聞いてみたいなと思うけど、あとは介入かな。どういう時に介入するのかとかさ。
恵子: 迷うよね。
祐介: うん。例えばさ、子どもたちでいる時に喧嘩とか起きるじゃない。そういう時に大人がどう関わるのかみたいな話とかあるけど、その辺はどうなんだろうな。いわゆる発達の段階にもよるよねみたいなことは思っていて。
例えば、うちの子どもは今6歳なので。この間もさ、友達同士が集まってると色々あって、なかなか強めの言葉言ってるなみたいなこともあったりするし。いろんな場面があって、そこには大人もいるけど、どの大人もどうするかなみたいな感じでドキドキしてる感じってあるけど。
6歳って社会性みたいなことがすごく発達してきている時期。いろんな人といろんな関わりの中で、じゃあ何か起きちゃったことをどうすればいいんだっけ?とかどういう風に関わっていくといいんだっけ?っていうのは、なんか関わり合いたいみたいな時期の中だから。それぐらいの発達の段階だとできるだけ見守るみたいなスタンスでずっといるみたいなことが、グラデーションとしてはそっち側が強いかなと思っていて。
でも、とはいえ介入するみたいなこともあるよね。
恵子: そうだね、やっぱり危険を伴う時は介入するなと思っていて。相手に危害が加わるとか、本人自体が危ないとか。そういう時は介入するっていうのと。
あともう1つはさっき読んでた中に出てきたんだけど。集中を守るっていうのはあって、子どもが自分の活動によって自分を作ってるなっていう時は守ってあげたいなっていう風に思うから。それが阻害されるみたいなことがあった時は、ちょっと守りに行くというかなんかそういう関わりはする。っていうのはベースとしてはあるかな。
祐介: うん、そうだよね。
ちょっとずれちゃうかもしれないけど、よく起こりがちなやつだと、例えば公園とかでブランコがあった時に。大人がやりがちなのは、「もういっぱい次の子たちがいるから次の子たちに譲ったら」って言いたくなるんだけど、そこは十分に活動したい、十分に楽しんでる時間だから、そこを守るみたいなことは大事だし。逆に他の子がやってる時は自分がね、自分が乗りたくても待つっていうなんかそういう感じの姿勢だよね。
でもなんかそれもさ、次のこととか言いたくなるけど、大人の社会でも例えば図書館とかで誰かが本読んでてさ、自分その本読みたいなって思ってもやっぱり待ってるしかないから。「2分読んだんだから貸してください」みたいな感じにはならないじゃない。やっぱりその人の自由も守られるけど、相手の自由も守るみたいな感じで。そこはどちらでも阻害される時は介入するみたいな感じだよね。
恵子: そうだね、6歳ぐらいだとそういう感じかな。自分たちでっていう感じだし。さっきその1番最初に導く人とかガイドみたいな話があったけど、子どもたち自身で社会性がだんだん発達してきているから、自分たちで基本的には話してもらう。で、仮にそこに関わることがあるとすると、「今どういうことが起きたんだろうね」っていう、事実のちょっとした交通整理みたいなことで、ガイドっていうかアシストみたいなことはするかもしれないんだけど。「じゃあ、はい、AさんとBさん仲直りしてください」みたいなそういう介入の仕方はしないっていうそういう感じ。
祐介: うん、そうだね。ちゃんと話を聞くけど、無理やり仲直りさせるとかそういう感じではないって感じだね。ただなんかその、「こういう関わり方があるかもね」とか、「もし仲直りしたい時はこうしたらいいかもね」とかそういうこうサポートみたいなことはする。なんかそういう感じ。大人もそうだもんね。喧嘩した人同士が仲直りできないから、「はい!仲直りして!」とは言わないよね。
あとはさ、今話しててまた思ったんだけど。とはいえ、お家の中でさ、それこそさっきのご兄弟、お兄ちゃんと弟とかって発達の段階も違うわけ。
恵子: うん、そうだね。年齢差があるの難しいよね。
祐介: その差がある中で、やっぱいろんなことが起きるじゃない。そういう時さ、どうかなみたいな話もちょっと思ったな。
恵子: そうだね。ちょっと難しいよね。大きい子はもしかしたら自分はどういう気持ちなのかとか、語彙力もあるから言葉で表現したり主張できるけど、下の子はまだ自分の気持ちうまく表現できないとかね、なんかそういうのもあるかもしんない。
祐介: うん。なんかでも今思ったのは、1つは、でもそれって起きることだし。それ自体は起きないようにはできない。できないし起きることだから。
さっきの話とちょっと繋がるけど。例えばさ、そういうことが起きた時に、その後ちゃんと大人が話をそれぞれの話を、自己肯定として聞いてくれるんだみたいなこととか。
あとはさっき集中の時とかに出てきたけど。このスペースにいた時は自分のやりたいことが邪魔されずにできるみたいな。自分が安心して担保されるスペースとか時間とかなんかそういうことがこうあることが、1つの心の足場っていうかそういうことになるかなっていう気がするな。
直接的に関わるってこととはちょっと違うかもしれないけど、そういうことがあるのがやっぱり結構大事なのかなって気がしたかな。
祐介: あとはあれかな。やっぱりこう家の中だけで解決するのってすごく難しくて。役割が固定しちゃうから。上の子とか下の子っていうことでね。
モンテッソーリの話でいくと、モンテッソーリ幼稚園とか保育園ってマストなのが、異年齢で混ざる混ざってるっていうところなんだよね。それでいくと例えば家ではお兄ちゃんだったとしても、その幼稚園とか保育園の環境に行くと自分が下になってる時があるとか。家では弟ちゃんだったりとかしても、そこに行った時に、さらにちっちゃい子がいると自分がお兄ちゃんの役割をすることがあるとか。そういう環境に行くことで、自分の立ち位置が色々変わるとか。そこでいろんな人がいるから、あ、こうやって解決するんだとか。こういう風にすると嫌なんだなとか。年の差が違うってこういうことなんだなとか。いろんなことがそこから見て取れて、まさに自己教育で学んでったりするから。なんか家の中だけというよりは、そういうもう少し広いコミュニティの、ま、それもだから環境だよね。環境を整えて、その環境の中で少しずつ教育できていくといいかなみたいなことを感じたかな
恵子: なんかこの辺の怒るとか、賞罰とか、介入みたいな話は、私たちもそうだし多分日頃いろんな出来事が起きる中で、皆さんも迷われるところだと思うから。どうしてます?みたいな話をしたいけど。
こういう時に怒っちゃうよねとか。こういう時に介入するよなとか。介入はしないんだけど、したい気持ちと葛藤しているとか。ちょっと聞いてみたいなと思っています。
最後に
モンテッソーリ教育ではどんな風に考えられているのか、を前半に復習しつつ、そのあとは怒ること・介入することについて、「どんなときに迷う?」「どんな葛藤がある?」「そんなときどうしてる?」というお話をみなさんと一緒にゆっくりお話しました。
色んな大人と子どもの関係性の形があったり、状況は個別的かもしれませんが、「こんなことってあるよね」という誰かの話は、子どもの特徴は違っても自分の近くでも似たようなケースはあって「わかる!あるよね!」と共感できることもあります。
そしてまた誰かの「そういう時、自分はこんな風にしてみているよ」という話が、勇気づけてくれたり、この先の関わりのヒントになったりもするなと思っています。
チャットを入れてくださったり、実際にお話してくださったみなさま、リアルな声をたくさん聴かせてくださってありがとうございました。
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