【モンテッソーリ公開復習会レポート】 第6回 <あふれでる特別な感受性(敏感期)とは?>

モンテッソーリ, 公開復習会, 育児

今回の復習テーマ

AMI(国際モンテッソーリ協会)公認のモンテッソーリ教師である私たちが、時折開催している「Montessori Nature」というイベントの名前が商標登録され、それを機に改めてモンテッソーリ教育について学び直し、復習する時間を持つことに。

私たちの願いは、子どもとの関わりによって、子どもももちろん、大人も楽しく過ごせたらいいなということ。
この復習会を2人の中に閉じず公開したら、一緒に楽しんでくれる誰かがいるかもしれないという思いで、この企画を実施しています。

そして第6回目のテーマはこちら。

【第6回 モンテッソーリ公開復習会テーマ】
<あふれでる特別な感受性(敏感期)とは?>
〜これを知っていると子どもとの関わりが楽に!そして、このあたりが知育と混同されているのかも!?〜


復習トークサマリ

―敏感期とは?

恵子: 今日のテーマは「あふれでる特別な感受性(敏感期)とは?」。モンテッソーリ教育で敏感期っていう言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、それについてお話ししていきます。サブタイトルは「これを知っていると子どもとの関わりが楽に!そして、このあたりが知育と混同されているのかも!? 」という話で復習していきたいと思います。

まず資料のはじめにっていうところに、「子どもは人格の形成に人間の特徴を獲得するために、環境の中の特定の側面に強い敏感性を持つ」とあります。ある時期に、ある領域だけに強い敏感性を発揮するみたいなことなんですけど、その敏感期は人生の最初の6年間、つまり0歳から6歳までの間に複数、いくつか現れます。
生まれた時人間ってあんまり何もできない存在なんですけど、人間が人間の特徴を獲得するために、子どもだけがおよそ6年間だけ持っている敏感性であるということです。

で、ちょっと補足があるけど、「敏感期」って時期が大体決まっていて、その時期を過ぎると現れないっていうことと、あとこの「敏感期」、敏感性みたいなものは人間以外にもあるんですけれども、2回ぐらい前の復習会で話した「吸収精神」っていう特徴は人間にしかないということが書かれています。

祐介: そうだね。「敏感期」って複数あるって話しでいくと、分かりやすいので言うと例えば言語とかね。要は、言葉にすごく敏感になっている時期が訪れるみたいな、そういうことだったりする。

あと、「敏感期」と「吸収精神」の関係みたいなところで少し補足すると、「吸収精神」って大体0歳から6歳の間に、環境の中にあるものは、いいとか悪いとか関係なく自分の中に取り込むみたいな、そういう特性って言えばいいのかな、そういうのがあります。で、取り込み方が特徴で、写真を撮るように、いいとか悪いとかそういうことに関係なく、自分の中に取り込んでいくというのが「吸収精神」で。
で、同時に0から6歳の時の間には、「敏感期」っていうのがあって、例えばさっきの話でいくと、一時期言語にすごく興味があるみたいなことが訪れるみたいなことなんだけど、それが同時のタイミングであるから、言語にすごく敏感になっている時に、環境の中に言語が豊かにあると、吸収によって自然に取り込むみたいな、そういうことが起きるみたいな、そういう関係性っていうことでいいですかね。

恵子: うん。ありがとう。
で、この「敏感期」っていう言葉の語源みたいなところなんですけど、元々は、植物でそういう「敏感期」っていう特性があるっていうのを植物学者の方が発見されたんですね。で、そのうち、動物にもあるねってことが分かってきて。ここに書いてあるのは蝶の幼虫って書いてあるんですけど、青虫が青虫の時だけ光に対してすごく敏感になって、光のある方に向かっていって、その向かっていった先で葉っぱを食べるみたいなことがあるなと。なんだけど、青虫の時期が終わると途端に光に対する敏感性とか興味が全然なくなって、青虫の時だけに現れる敏感性なんだなみたいなことを発見したっていうのがあったんです。

モンテッソーリ教育って、人間のことを観察して、観察によって人間を理解してできたアプローチですよみたいなことを、結構最初の方の復習会で話をしてきましたが、モンテッソーリが人間のことを観察していくと、どうやら人間にも同じような敏感性があるじゃないかということを発見したという、そういう話です。
では、その発見された「敏感期」ってどんなものがあるのかということを、今日この後少しずつお話していきたいと思っています。


―敏感期の種類と特徴

恵子: はい。細かく色々書いてあるんですが、分かりやすいのがこの図なので、これを見ていただくのが一番いいかなと思ってるんですが、今見ていただいている図の右上のところに、どんな敏感期があるのかっていうのが書いてあります。言語の敏感期、運動の洗練の敏感期、秩序の敏感期、感覚の洗練の敏感期、社会性の敏感期、小さいものの敏感期ってことで、大きく 6 つあります。
そして、それぞれどんな時期に訪れ、いつピークを迎えていくのかみたいなことを表現しているのがこの図です。

例えば、さっき言語の話もあったから言語からいくと、言語って、赤ちゃんってお腹の中にいるころからお父さんとかお母さんの声聞こえてますみたいなのって、よく言われますよね。なのでこのグラフでいうと、言語の敏感期って0歳よりも前に始ま始まって、そのうちピークを迎え、6歳を過ぎてもまだ言語への敏感性は続いているっていう、そんな感じです。

祐介: なので、この期間の間で、なんか突然文字に興味を持ち出したりね。うちの子どもももうだいぶ前ですけど、なんか、道にある看板全てが気になって、「あれはなんて書いてあるの?あれ読んで」みたいな感じで、すごい言語に言葉に興味持ってるなみたいな時期があったりとかして、そういう時期が来る。あと絵本を見ながらお喋りしたりとか、なんかそういうことへの興味がすごく強くなる時期みたいな感じね。はい。

恵子: うん、ね。次に点線のグラフ、運動の洗練の敏感期というのがあります。これはシンプルに言うと動きたいみたいなことね。動くことにすごく敏感性があって。動くっていうのは、大きく体を動かすとか、バランスを取るみたいな粗大運動もあるし、指先とかを使った細かい作業みたいな微細運動、両方の動きのことを含んでるんですけど、そういうものに敏感性が高まるという時期があります。
生まれたての赤ちゃんって、自分の意思で動くというより反射的に動くんですけど、だんだん人が人らしくなっていく時に、脳から指令を出して、自分が思った通りに手とか足を動かすみたいなことをやりたくなってくる。そして、その時期に合わせて敏感性が高まって、動きたいみたいな感じの時期になってくるっていう、そんな時期が運動の洗練。

恵子: 3 つ目のちょっと赤っぽい色に秩序っていうのがあって。
秩序は時間的に、要は、ルーティンが決まってるみたいなこととか、物理的な物が、これはこういう場所にあるみたいなことが決まっているとかね、そういう秩序立っているようなことに結構敏感になる時期というのもあったりします。
そして、いつもと同じパターンみたいなものから外れた時、例えば、いつもはこのルートを通って家に帰るのに、突然違うルートを通ると子どもが嫌がったりするみたいなのは、そのいつものパターンという秩序がすごく大事とか、そういうことに敏感性があるとか、なんかそういうことがあったりするかな。

祐介: そうだね。この靴の隣には必ずこの靴を置いときたいとかね。そういうのが強い時ってあったりするよね。

恵子: で、4 つ目が黄色いところ。感覚の洗練の敏感期ということで、感覚的に何かを感じるとか、感覚によって何かを理解しようとするとか、そういうことの敏感性が高まる、関心が強まるみたいな時期があります。
子どもが小さい時だと、よくその辺の机の上にあるものとかを、口の中に入れて確かめようとしたりとか。あと、裸足でいる時に足の裏とかも結構皮膚が敏感なので、足裏でなんかこう物をゴロゴロやって確かめるとかっていうこともそうだし、なんかいろんなことを触りながら活動するみたいなことが多いよね。

祐介: うん。触りたくてしょうがない時あるよね。

恵子: で、黄緑の点線が社会性の敏感期で、これは、この6つの中で言うと割と後半に来るみたいな敏感期なんだけど。
割と小さい時って一人遊びというか、自分で何かするみたいなことが多いんだけど、徐々に人と関わる、誰かと何かを一緒にやるみたいなことが芽生えてくるっていうか、そういう活動が増えていったりして、それはやっぱりこの社会性の敏感期が来てるからっていうのは 1 つあるかなというのと。

最後は小さいもの。小さいものに興味があるっていうのもあって、例えばなんだろうね、虫とかね。うん。小さいものをすごく関心持って見るとか、捕まえてくるとかなんかそういうのもあると思うんですけど、細かいディテールに興味があるとか、そういう時期もあったりするということで、こんな感じで6つの敏感期があります。

恵子: ということがモンテッソーリが観察から分かったっていうことなんですけど、この敏感期の特徴をこの流れでお伝えしていきます。

1つは普遍的であるってあるんですけど、どの国にいるかとか、どの人種かとか、どの文化ってことに関係なくて、誰にでも必ず訪れる普遍的なものであるということ。
それから、努力なしに能力を獲得できる。さっき言語の話もあったんですけど、要は、日本に住んでいて周りに日本語がたくさんあると、例えばなんだろう、関西に住んでたら関西弁をそのまま努力しなくても習得できちゃうみたいなことだったり、そんな特徴もあるということ。
あと、一時的なものである。さっき見ていただいた図で大体の時期が書いてあったと思うんですけど、その時期の期間限定のものなので、その時期にしか現れないということですね。そしてグラフにあった通り、弧を描いてますので、カーブを描いていて、ピークがあって、徐々に終わっていくということ。
あと、敏感期 6 つあるのが、順番に「これが終わったら次これ、その次これ」っていう順番で来るっていうよりは、同じような時期に複数の敏感期が重なるような形で現われてくるというのが特徴としてあります。

祐介: うん。うん。なんか敏感期は取り戻せないとか、獲得してもしなくても過ぎて言ってしまう、なんかドキッとするよね。


―敏感期が来てるって子どものどんな様子からわかるの?

恵子: ちょっとこの辺がね、なんか焦らされるような気持ちになるというか、そういうのはあるんですけど、じゃあ、その6つの敏感期があった時に、それってどうやって分かるの?っていう話で、どんな風に子どもの様子として現れてくるのかっていうのがここに書いてあります。

1 つ目は、強い興味ということで、スポットライトが当たるように興味が集中する。さっきのうちの息子の看板の話とかそうなんですけど、もうその時になったらもう、文字という文字を見ると「あれ読んで」とか、「なんて書いてあるの」とかすごい聞いてくるみたいなことがあって。

祐介: しかも、またその看板が「〜禁止」ばっかりで、禁止のこといっぱい言わなきゃいけないの嫌だな…とか思ったけど。すいません、ちょっと余談挟んでしまいました。

恵子: なんか、そういう強い興味から分かるってこともあるし、あとは、活動を繰り返す、疲れはなく喜びが見えるって書いてあるんですけど、「何回それやるの?」っていう時ありません?同じことを何回も繰り返すなみたいな時。ああいう時も、「あ、敏感期が現れているな」っていうことを感じられる 1 つの様子だったりします。

次に、阻害されると強く抵抗するというやつで、本人はその「敏感期」、ある領域での敏感性を発揮したいのに、例えば私もよくあるんですけど、大人にその後ちょっと予定があって、時間の都合でそれをやめてもらわなきゃいけないような時に、その敏感性の発揮を止めてしまうと、だだをこねるとか、強く抵抗するみたいなことがあって。そういう様子からも、「ここに敏感性を今発揮したいんだな」っていうことが観察によって分かることがあります。

祐介: なんかね、駄々の理由にも色々あるけど、「敏感期」が阻害されてるから出てるケースもあるよっていう感じだね。

なんかでも今聞きながら思ったことをちょっとだけ出したいなと思ったんだけど。子どと一緒にいると、やっぱりいろんなことが不安になる時あるなと思っていて。例えばこの「敏感期」と重ねると、言語のところってなんか文字書けるようになってもらわなきゃとか。「隣の何々ちゃんはもうひらがな書けるんだ」とかなんかそういうことってちょっと焦りになったりして、「うちもやんなきゃ」みたいになることってあると思うんだけど。

でもこの「敏感期」の話をしてていいなって思うのは、「あ、でもなんかそこに興味がすごく湧く時って来るんだ」っていうことを分かっていると、来た時にやればいいかなみたいな感じで、なんかその時に環境にあればいいから、なんかそういう風に一種の安心になるなとか。

あとは社会性みたいな文脈でいくならば、「うちの子ずっと1人で遊んでるけど大丈夫かしら?」という風に思ったりするけど、これももちろんね、人によっていろんな差があるから、そのうち社会性の敏感期くるんだなってことがわかっていると、その時に合わせてみたいな感じでいいかなと思えるなと思って。なんかそれは、知っているということの1つの安心かなっていう風に思ったなっていうのが1つと。

もう 1 つは、さっき途中でちょろっと言ったんだけど、とはいえ知ったからこそ焦るみたいな話もあるなと思っていて。
なんか「言語の敏感期あるんだ。敏感期あるんだったらその時に日本語も英語もフランス語も中国語もみたいなこをとやっておくといいんじゃないか」というようなことを思いがちになるなと思っていて。
それがさっきタイトルにもあったけど、一種のまあ、知育という表現が正しいかわからないけど、なんか詰め込みみたいな話になんか意識としていきがちだなみたいなことをちょっと思ったりしたけど、その辺はどう思いますか?

恵子: いやあ、でもそうだね。なんか、モンテッソーリ教育自体が詰め込むっていう発想ではないから、詰め込もうっていう風には思わないんだけど、なんかこれぐらいの時期にこれが来るっていうのを分かってて、だからその時に環境にあったらいいってことも分かってて、それを自分が用意できなかった時に、ちょっと「あ、なんか用意できなかったな」って、自分に対して「あぁ…」っていう気持ちになるっていうことはあるかな。

祐介: なるほどね。なんかでもそうだね。そういう、本当はあったら良かったのになということを用意できないみたいな話もあるし。
あと、今僕がちょっとすごく大事だなっていう観点で思ったのでいくと、あくまでやっぱり子どもにその時が来てだって話かなと思っていて。なんか環境に英語も中国語もフランス語もあればいいっていうのは親の話じゃん。みたいな話だなと思っていて。なんかそこのやっぱ混同を起こさないことがすごく大事かなと思っていて。
例えばそれが、なんか子どもが楽しんで中国語もフランス語もやってるんだったら、環境に用意してあげたらいいと思うけど。なんかそうじゃないケースもあるなと思っていて。
それがどっちの視点なのかみたいな話もすごい大事なポイントかなとちょっと思ったので、一旦出してみました。

恵子: オッケー。じゃあ、そんなところで、まずは敏感期を知っておいて、今みたいに様子で現れることもあるから、子どものことを観察すると、「あ、今敏感期が来てるな」みたいなことが分かるということですよね。


―敏感期を知った上で、大人はどんなことができる?

祐介: ここからの話としては、じゃあそれが分かり、大人としてはどういうことを、この敏感期に対してできるといいのだろうかみたいな話をちょっとしますかね。

では順番に、言語の敏感期が来た時っていうのかな?来る時にどうしとくといいのかなみたいな話だけど。色々色々書いてあるんだけど、大きくは2つかなと思っていて。
1つはやっぱりその環境の中に言語がないと、敏感期が来たときに吸収ができないので、そこを用意しとくということなんだけど。環境の中に言語を用意するってどういうことかみたいな話でいくと、話し言葉がすごい大事と言われているんだよね。言語ってコミュニケーションによって、対話することによって吸収するみたいなことが言われているから、いろんなお話をたくさんするとか、一緒に話すとか、下の方に書いてあるけど歌を歌うとか、詩を読むとか、いろんな豊かな言語で対話するみたいなことが、すごく大事。そういうのが環境の中にあるっていうのが大事かなっていう話と。

もう1つは、これもなんかちょっと色々書いてあるのまとめちゃう感じだけど、言語に敏感になったら、「あ、なんか言語を使うとか、話すとかって、すごく面白いことなんだな、楽しいんだな」っていうことを思ってもらうってことがすごく大事かなっていうのがあるよね。
話す中で、自分が話すのも楽しい、相手が話すのを聞くのも楽しい、歌を歌うのも楽しいっていうことで、言葉を介してコミュニケーションをすること、言葉を使うことってすごく楽しいことなんだっていう環境にしておくと、この言語の敏感期に応えていけるっていう感じかな。
あとはその派生として、ちゃんと言葉に気持ちを伴って話すとかね、単語じゃなくて文章で話すと、扱い方が自然に分かるねとか、そういう話だったりするよね。

それから2つ目、運動の洗練の敏感期は運動したくてしょうがないとか、自分のイメージ通りに体を動かしたいみたいな話だけど、そこでモンテッソーリ教育でこういうのいいんじゃないみたいなとこでいくと、日常生活の練習を行うという分野があって。これなんかすごくいいなという風に思っていて。これって全然家でできることだし。要は、手を動かして運動して思い通りにやりたいみたいなことだから、夕食の準備を一緒にするとか、トレーを持って運ぶみたいなこともいいだろうし。あとなんだろうね、モンテッソーリの活動でもあるけど靴を磨くとかね。

恵子: この間靴磨いてたよね。

祐介: 磨いてたよね。そう、なんか磨くって運動だから、運動したいし、磨いたものが綺麗になるみたいな感覚も分かったりするから、日常生活を伴いながらね、動くっていうこと、環境があるといいよね。
でもそれがなんか全てがもう用意されちゃっていて、自分で動かせるものがないみたいな感じだと、ちょっと辛いよねみたいな話だったりするし。あと本物の道具を用意するっていうのは、日常生活って本物で動いてくから。モンテッソーリ教育のより大きな概念として、環境に適用していく中で自分を作っていくみたいなのがあるから、なんかおもちゃを使うのじゃなくて、本物でやるのがいいよねみたいな発想もあったりする。

恵子: そうだね。人が環境に適用するって、環境自体が本物だからね。おもちゃに適用するわけじゃないからっていうことで、本物の道具を用意するっていうのも大事にしてるね。

祐介: あとは触れる、手で動かせる教具ってモンテッソーリで使うものだけど、とか、誤りの訂正をできる環境と用意するとか、運動の調整、自己訂正ができるような環境を用意するみたいな話があって。この3つは他の敏感期も合わせてちょっと後で話そうかな。

3つ目の秩序の敏感期にどういう風にすると応えられるのかという話でいくと、1つは、環境の中に秩序を用意するっていうことがやっぱり大事。
エリアを作るって書いてあるけど、例えば、モンテッソーリ環境だと、言語の活動をするエリア、感覚の活動するエリア、運動する時はここみたいな感じで、エリアが分かれていてね、物理的に秩序が作られてるってことだから、秩序の敏感期がある時に、なんか混沌とせず応えられるみたいな感じだよね。
置き方も棚を左から順番、上から順番に用意する。これも子どもが自分で、「次に何をやったらいいのかな」とか、「どこに何があるのかな」とかが分かるみたいな話で、物理的な秩序が子どもの敏感期に応えられるようになっていたりとか。

時間的な秩序みたいなのは、さっきけいこさんが言ってくれたけど、朝ご飯があって、その後何やって、昼ご飯があって…そういう時間を整えておく。

クラス替えをしない方がいいと書いてあるのは、初め聞いた時結構面白いなって思ったんだけど、敏感期が来てるタイミングで社会性の秩序がガラっと崩れるのって、やっぱり結構混沌とするんだろうなみたいな発想から来てるのかなと思ったんだよね。もちろん小学生とかになってクラスが替わるとかあると思うけど、この敏感期が来てるタイミングとかだと、人の構成がガラっと変わることって秩序にも影響するかなみたいな話とか。

あと、教師の言動についても一貫性を持つ。これは、関係性の秩序感みたいな形でね、コロコロに違うこと言うと混乱するみたいな話で。

恵子: 「昨日はこう言っていたのに、今日はこう言ってるじゃん!」みたいな感じとかね。

祐介: うん。昨日は怖かったのに今日は優しいとかね。

恵子: そう、そう。

祐介: 自分のことを言ってるような気がするけど、なかなか一貫性持てないけど。なんか、そういうことも意識するといいよねみたいな。

恵子: 秩序的には大事だということだね。

祐介: そうだね。それから、感覚の洗練の敏感期は、何かを触りたくてしょうがないとか、見たくてしょうがないとか、そういう敏感期が訪れた時に、うん。どうするのかみたいな話だけど。感覚的な探索者なので、具体物を用意する、触れるものを用意する。
頭の中で抽象的に考えるものというよりは、ちゃんと触れるもの、触れられる環境を作るっていうのがすごい大事だよねという話が、あったりとか。

あと、この3つ目結構面白いんだけど、触れられるものでかつ美しいってこともモンテッソーリって大事にされてるけど、美しいのみならず科学的に正確なものを用意するみたいなことが書いてあって。
ちょっとこれ敏感期からのアレンジ版みたいな話書いてあるかなと思うけど、うん。感覚を使い、感覚で理解しながら、知的な活動に繋がっていくみたいな、なんかそういうような活動もありますみたいな感じですね。という感じで、感覚の洗練の敏感期の話を今ちょっとしました。

で、さっき運動の洗練の敏感期のところで最後のこの 3 つ、
・触れる、手で動かせる
・誤りの訂正をできる
みたいな話をしたんだけど、運動の洗練の敏感期、感覚の洗練の敏感期、言語の敏感期が訪れた時に、例えば、モンテッソーリだとこういう活動がありますみたいな話をなんかちょっとお話しするといいかなと思ったけど。

恵子: あ、そうだね。そう、感覚の洗練の敏感期と、運動の洗練の敏感期と、言語の敏感期に応えようとして、モンテッソーリで用意されているのが、見たことある人いるかもしれないんですけど、砂文字っていう教具があります。

これはひらがなを、紙やすりをひらがなの形に切り抜いたものを板に貼ってるっていう、そういう教具なんですけど、これなぞるんですね。
なぞると、紙やすりなのでザラザラしてるっていうのをまず感覚で味わえるのと、指を動かすのが運動ですよね。さらに文字なので言語ということで、この3つの敏感期に応えようとしていったときに、こういう教具になるっていうことです。

さっき、誤りを自分で訂正するとか、運動調節できるものみたいなことも書いてあったと思うんですけど、やすりから外れるとツルツルになるので、「あ、外れた」と自分の誤りに気がつく。で、今度は正しくなぞろうと、自分の指先の運動を調節してなぞるわけです。なので、そういうことが叶うように教具が作られてますっていう、言語で言うと、こんなものがあります。


祐介: さっきのグラフを思い出していただくと、言語の敏感期と感覚の敏感期と、あと運動の敏感期、重なって一緒に来てるので、「それに応えられるようにどうしたらいいのかしら」と、多分そこの発想から作られたのがこういう教具だったりするみたいな感じで、知っていくとすごくよく作られているんだよね。

もう 1 個ちょっとご紹介しようかな。さっき感覚の洗練の敏感期のところで、どういう環境を用意すればいいかみたいな話の中で、美しいものが大事だとか、美しいに加えて科学的なものが大事だみたいな話が書いてあったと思うんですけど。数教育という分野でこのビーズがあるんですね。なんか綺麗じゃないですか。
10 のビーズがあったりとか。あと、10が10本揃ったのが100のビーズ。それがさらに立体になったら、1000 のビーズみたいなものも。
これは綺麗で、感覚的なもので、重さとかも伴うんだけど、科学的にもちゃんと数が100、1000になっているみたいなことがあって。結構面白くて。

我々がモンテッソーリの勉強しようかなって思って初めてトレーニングセンターに見学に行った時に、ちょうどこれをやって見せてくれて。あの、トレーナーの人がなんか「1000ってこういう感じなんだよね」みたいな感じでドンっていう風にやったんですよね。


祐介: これって何かって言うと、感覚的に数を捉えてるっていう話なんですよね。
「あ、1000 と 1000 って大きなものと大きなものが合わさって、こういう風に大きくなるんだ」とか、「1000 って重いんだ」とか。要は、重さとか視覚とか、そういうものでこう数を捉えてるみたいなことがあって。
その時に数のことに言及してるわけじゃないんだけど、感覚の洗練の敏感期にそういうことをやってる中で、結果として後からね、数に数の概念に繋がっていくということが起こってたりとかして。なんかね、そんなのもすごい興味深い。

恵子: 小学校とか上がってくると、まさに数字で頭の中でより抽象的にやっていくんだけど、この時期のお子さんはそのさっき言ったような敏感期を持っているので。
今のは足し算だったんだけど、「合わせると大きい数になるんだ」っていう足し算の概念みたいなこととか、数自体をその感覚だったり、手を動かして運動みたいなことで、敏感期に答える形でやってるっていう、そんな感じだよね。

祐介: なんかそれもすごい面白いなと思って。だから、モンテッソーリで足し算やる時って、1+1から始まんないんだよね。要は、4桁+4 桁みたいな感じで大きい数からやって感覚で捉えて。初めに足し算みたいな話があるんじゃなくて、感覚があって、「あれが結果足し算だったんだ」みたいな感じで繋がっていくのかなみたいなことをちょっとこう思ったりもしましたね。
ちょっと行ったり来たりなんだけど、戻ろうかな。

あと、社会性の敏感期が訪れた時にどうするかみたいな話だけど、異年齢構成。これもモンテッソーリのすごく特徴だけど、異年齢構成になっているとなんかね、いろんな自分と違う人との対応とかが、社会性の敏感期が来た時に環境にあると、「あ、じゃあ、どういう風にコミュニケーション取ったらいいんだろう」とかね、「体力が違う人とどういう風に関わったらいいんだろう」とか、そういうことができたりするので、それが大事ですねとか。

恵子: うん。やっぱりある程度の子どもの人数がいないと、社会性の敏感期に応えられないから、なんかそういうのって大事だよね。

祐介: 教具の数を制限するみたいなこともしていたりして、それによって限られたものをどうやって協力しながら使うのかみたいなことが生まれる環境が用意してあったりとか。
あと、教師が介入しすぎないんだよね。ちょっと教師足りないかなぐらいの人数になっていたりとかして、人数もそうだけど、言いすぎないみたいなことも、すごく教師は気にしているみたいな感じだったり。

恵子: うん。自分たちの社会性の中でやってもらう環境ってことだよね。こっちが介入することによってではなくて。

祐介: そう。それを子ども自身がしたいという敏感期が来てるから、ついついね、口出したくなっちゃうけど、なんかそこを我慢するみたいな話とか。
あとは、どうやって大人って解決してるんだろうみたいなことを見せるとかね。教師同士が見せるみたいなこととかも、環境として捉えてやってたりとか。前にどっかの復習会のときに話したね、親の喧嘩見せるかどうか問題みたいな話とかね、やったけど。

恵子: 最後に小さいものの敏感期。さっき虫とか見たがったりみたいな話をしたんだけど、そういう欲求が現れた時に、じゃあそれを見るとか触るとかね、そういう時間を作ってあげるっていう、そういう関わりが大人としてはできるっていうことですね。

そして、障害を取り除く。さっきあんまり介入しないみたいなことも書いてあったんだけど、大人がその敏感期の発揮を止めてしまうということがあるので。そうならないようにしようねっていう。

祐介: なんか言葉が刺さってくるけど、なんかドキッとしちゃうね、これ見るとね。

恵子: 自分が障害になってるんだって思うと、ちょっとドキッとしちゃう。

祐介: そうだね。なんか過保護とかしがちになっちゃうけど、せっかく社会性の方が来てるのに、しすぎないみたいなことがやっぱ大事だし。

あと、テレビや電子機器、スマホなどを置かないみたいなことは、それはもちろんいろんな考え方があって、どの側面から見るかによって必要性も違うと思うけど、今日話している敏感期の文脈でいくならば、どうなんだろう。例えば、言語とかの敏感期が来ている時に、一見ね、テレビとかスマホとかがあると言語がいっぱい流れるからいいかなという風に思いつつ、言語の吸収って、対話の中とかやり取りの中で生まれるので、受けてるだけだとやっぱり敏感期には応えられていないんだよね。なので、なんか直接的な対話とかが、ある方がいいよねとか。
いろんな敏感期が来てて、子どもはそこに向かって行きたいんだけど、電子機器はインパクトが強すぎてこうやっぱり障害になるみたいな、そういう意味合いで書かれてると思うけど。なので、一概に全部ダメって話ではもちろんないと思いますけど、なんかそういうこととか。

次の、褒める、罰を与えるみたいなこともそうかな。敏感期の方に向かって行きたいんだけど、過剰に褒めるとか与えるとか、罰みたいなものがあったりすると、なんかこの親にどう見られるかみたいな、こういうためにとか、ならないためにとかね。なんかそういったことも、障害になり得るねってことが書いてあるって感じかな。

恵子: 本来の、せっかく来ている敏感期と違う方向に行っちゃうのでということだね。
ということで、最後のは教師の話なので割愛して結論というところですけど。
青虫の話から始まりましたけど、人間にも同じように特定の時期にある分野に特別な興味を発揮する、そういう時期があるっていうことを、モンテッソーリが発見したということと。
その敏感期を分かっておくと、子どもを観察した時に、「あ、今これが来てるのかもしれない」っていうことが理解できるし、それに適した環境を整えるっていうことが、大人の役割や関わりとしてはできるというようにまとめられているという、そんな感じですね。


最後に

私たちの復習を聴いていただいた後、みなさんから感想やご質問を出していただいたり、ご自身の体験をお聴かせいただきました。
チャットに書いていただく方もいたり、声や画面をONにできる環境にいる方とは顔を見ながら直接お話ができて楽しい時間でした。

今やっていることや今の関わりが子どもにどう影響するのか、それによって子どもがどんな育ちを歩んでいくのか、それは未来になってみないとわからないことですが、私たちも含めて、どんな親も保育者ももこれが最善だと思って関わっていることと思います。今回ご参加の方から、「お子さんが幼少期の時の環境や関わりが、児童期の今のこの部分につながっているのかも」という体験を共有してくださって、幼児期のその少し先の未来を少し垣間見させてもらったような気がしました。

みなさん日々いろんな立場でお子さんと接していらっしゃると思いますが、子どもたちを見るひとつのメガネとして今回の内容も参考にしてもらえたら嬉しいです。

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