【モンテッソーリ公開復習会レポート】 第10回 <育っていく過程で、どのように社会性や協調性が育まれるのか?>
今回の復習テーマ
AMI(国際モンテッソーリ協会)公認のモンテッソーリ教師である私たちが、時折開催している「Montessori Nature」というイベントの名前が商標登録され、それを機に改めてモンテッソーリ教育について学び直し、復習する時間を持つことに。
私たちの願いは、子どもとの関わりによって、子どもももちろん、大人も楽しく過ごせたらいいなということ。
この復習会を2人の中に閉じず公開したら、一緒に楽しんでくれる誰かがいるかもしれないという思いで、この企画を実施しています。
そして第10回目のテーマはこちらでした。
【第10回 モンテッソーリ公開復習会テーマ】
<育っていく過程で、どのように社会性や協調性が育まれるのか?>
〜 個人があって社会がある?社会があって個人がある?日本の社会性のユニークなところ。〜
復習トークサマリ
―モンテッソーリ教育における「社会性」の4段階と、段階①:0〜3歳
恵子:ということで、今日は社会性についてですね。 「モンテッソーリ教育が育む調和する人」というタイトルがついていますが、今日は社会性がどのように育まれていくのか、ということを復習できたらと思ってます。
祐介:はい。「満たされた子から自然と溢れ出す社会性の奇跡」ということで、そんな内容もこの後出てきます。
では、内容に入っていこうかなと思います。 モンテッソーリの文脈でよく出てくる話として、核となるパラドックスがあります。
モンテッソーリ教育って、特に6歳ぐらいまでは「1人の活動」というのが結構大事にされているんですけど、「1人で活動していて社会性って育つの?」という疑問をよく持たれたり、私たちもそういった質問を受けることがあったりしますね。
恵子:そうそう。「それだけやっていて協調性とか大丈夫なのかな?」とか。
祐介:「幼稚園まではいいけど、小学校に入ってから大丈夫なの?」とか結構聞かれたりします。 でも、実はその「1人で活動すること」が、社会性にとってもすごく大事なんだ、というところがあって。 今日はそんなところを話していけるといいですよね。
恵子:うん。今日はテーマが社会性なので、まず「そもそも社会性とは何か」という話から入っていきたいと思います。
「社会性」というワード自体は、このモンテッソーリの復習会の中でも実は何度か出てきていて、もしかすると人によっては聞いたことがあるな、と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
「社会性」はこのページに書いてありますが、人間が持っている傾向性の1つです。 人間の傾向性というのは、人間という生物、生き物が持っている、発揮したい特徴のことですが、その中の1つに「社会性」というものがあります。 なので、そもそも人間は「社会性」を特徴として持っていて、人間という生き物はそれを発揮したいという動物なんです。つまり、止められたり阻害されたりしない限りは、基本的には自然と社会的になっていく生き物だ、というのが前提にあります。
だから「社会性を身につけなさい」とか「こうやりなさい」という風に教え込まれなかったとしても、それが発揮できる環境がそこにあれば、生物としてはそれが発揮される生き物だ、という話なんです。
祐介:その「社会性」というのは傾向性として持っているんだけど、でもいきなりポンと発揮されるわけではなくて、やっぱり順番があるんです。 その順番がどうなっているか、という概念の図がこれになります。

4つの段階で書いてありますが、まず0歳から3歳までは、生まれてから「自分はそこにいていいんだ」とか「この世界っていいところなんだ、安心できるんだ」ということを感じることが大事な時期があります。
その後、3歳から6歳の時に「社会の胚」と書いてありますが、ここは個人の活動が結構大事にされる時期なんですけど、それをやりながら「社会性」に繋がっていく準備をしています。
そして6歳から12歳になった時に「社会的新生児」。 まさに「社会性」が発揮されていく場面が出てきて、12歳から24歳で実際に実社会と繋がっていく。 そういったことが段階を追って起こってくるんです。 では、それを1つずつ見ていきますかね。
恵子:はい。まず、今の4段階でいくと一番最初の0歳から3歳のところですね。 “大地に根を張る絶対的な安心感”と書いてありますが、今お話ししたように、赤ちゃんとしてこの世に生まれてきた時に、「ここは自分にとっていい場所なんだ」とか「自分はここにいていいんだ」とかそういうふうに思える感覚。 それがこの時期に基盤としてできていることが、すごく大事だとされていて、これが今日のテーマである「社会性」が身についていく手前の段階で、この土台があることが重要なんです。 だから、この時期がめちゃくちゃ大事だということですね。 0歳から3歳の間に「自分は大切にされている」とか、「ここは安心できる」という信頼感が醸成されていることが大事です。
―段階②:3〜6歳
恵子:で、その土台があって、次、3歳から6歳ぐらいになると、自分を作る時期、つまり個での活動が大事にされる時期になります。 ここは次の時期が「社会的新生児」だったので、その手前の準備期間に当たります。
社会的な存在になる手前の準備期間で、まず自分自身という「個」を作り上げていくことが、この3歳から6歳の時期になります。 なので、一番下の方にあるかな。 社会活動に参加する前の段階として、自分の意思で動いていくとか、その中で自分自身を作っていくということに全力を注ぐ。 それが社会性への準備の期間となる、ということになっています。
祐介:実は、それが社会性への繋がりになっていくという話になりますけど、今のところを少し順を追って説明していくと、まず第一歩として、”自己選択が意思と独立心を育む”と書いてありますけど、実は社会性の出発点って自立なんだ、という話ですね。
なので、その自立は何から生まれるかというと、自分が選択していく自由から生まれていく、ということが書いてあります。 大人から「これやりなさい」と指示されるのではなく、自分の内なる声に従って活動を選んで、それをやっていく。 それによって自立に向かっていくということです。
自己選択していろんなことをやっていく中で、次の第二歩としては、これはモンテッソーリですごく大事にされていることですが、「集中」が起こってきます。自分で選んだものを懸命にやっていると、集中現象、フロー状態が起きてきます。
この集中は、「集中して勉強しなさい」といった意味の集中ではなくて、この集中のすごく大事なところは、目の前のことに没頭していくと何が起こるか、という点です。集中している時って、大人もそうですけれど、不安がなくなったり雑念がなくなったりしますよね。 他者がどうこうという話ではなく、まさに没頭しながら自分自身の幸福な状態でやっていける。 それが集中なんです。
恵子:他のことが全然気にならなくなるよね。目の前のことに本当に没頭できる、そういう状態。
祐介:そうですね。それをやりながら何かを作り上げていくと、第三歩として心が満たされた状態に到達していきます。 深い集中を経て仕事をやり遂げると、子どもは深い満足感と平和に包まれます。 そうなった状態が本来の姿と書いてあるけど、本来の良さが出ている状態ですね。
で、これを経るとどうなるかというと、第四歩で、ここで「社会性」に繋がっていくという話になります。 “満たされた心から溢れ出す自発的な親切心”となっていて、自分自身が満たされて初めて、他者を心から思いやることができる、という流れになっていて、心が満たされた状態の子どもは、大人から強制されなくても、自然と他の人を助けたいなとか、協力したいなとか、自分たちがいるクラスの環境を良くしたいなと思うようになります。 それが社会性だったりすると思いますが、そこに繋がっていくみたいな感じですよね。
恵子:うん。これは今3歳から6歳の子どもの話をしていますけれど、私もそうだなと思っていて。 私自身に余裕がない時とか、自分が満たされていない時って、やっぱり家族、夫や子どもに優しくできないことがあるなと思っていて。ありますよね?多分。やっぱり自分が満たされるから初めて外に意識が向くし、外の人を思いやることができる。 これは子どもも大人も同じことだなと思って。
で、3歳から6歳は、社会的な存在になっていく手前の準備期間という話をしたんですけど、やっぱりそこで個を作って自分を満たしておくことで、ようやく外に意識が向いて次の社会的な段階に向かっていけるってことなので、ここの準備期間はすごく大事だなと感じています。
祐介:優しくされていない時は満足していない時ってことだね。
恵子:私が満たされていないってことなのかもね笑。
祐介:今の話をまとめていくと、”社会性を育む自己実現のサイクル”って書いてあるけど、モンテッソーリ教育では個の確立と「社会性」は対立するものではなくて、個ができてくることが社会性に繋がっていく。 この発想がすごく特徴的かなと思っています。 自己選択があって、集中なんかが起こりながら、その子本来の姿ができてくると、他者への思いやりに繋がっていくということだね。
で、自分で自分を作っていく大事さがあるんだけど、それが発揮される環境もすごく大事にされていて、それがこれかな。
恵子:そうだね。自分が自己選択して集中して満たされて、初めて外に向かっていく時に、その向かっていく先、思いやりのある環境がないといけない。 それが満たされて外に向かっていった時に、その先がちゃんと小さな社会としてここに存在する、ということかなと思います。
それと、異年齢のクラス構成ですね。 これもモンテッソーリのクラスではかなり大切にされているんですけど、異年齢、ここでは2.5歳から6歳ぐらいまでと書いてありますけど、いろんな年齢の子どもが混じっていて、その中で、思いやりを発揮できる環境がそこにあります。
あとはクラスの規模で言うと、25人から40人ぐらいの規模の中で、大人が2、3人というバランス感。 大人があまり介入しすぎることなく、子ども同士で助け合うとか、思いやりを投げかけ合うことができる、そういうことができそうなバランス感が結構大事にされています。
祐介:モンテッソーリって環境がすごく大事にされているから、そういうことがしやすい環境を作っている、という感じだよね。
恵子:で、異年齢で混じると、どんな良いことがあるのかみたいな話なんですけど、年齢や学年でバサッと切ってしまうと、ある意味で構造が水平的だし、同じ年齢ということは大体同じ発達段階にあるので、同じことを求められて、全員が同じ時に同じことをやる、ということが起きがちで。 そうすると比較が起こりやすい。競争が起こりやすい。そんな中で嫉妬が生まれることもあるんですけど、でも、異年齢で例えばさっきの2.5歳から6歳ぐらいまでが混じると、発達段階が色々なので、みんな色々な活動をします。 そうすると比較の対象にならないし、妬みとかも存在しないし、小さい子は大きい子の姿を見て「自分もあんなことができるようになりたいな」と。 妬みや僻みではなくて、憧れに繋がりやすいんです。 そういったことも含めて、異年齢で混じることは大切にされていますね。
祐介:そうですね。このメッセージにも書いてあるけれど、横並びの一斉教育が「社会性」という意味ではなくて、色々な人が混じり合いながら、そこで問題解決をしながら自分たちで良くしていこう、みたいなことが「社会性」。そんなふうな捉え方もあるかなという感じですね。
恵子:まさに大人の社会も同じ年齢で区切られていることってなくて、色々な年代の人、性別、国籍も含めて混じっているのが社会の普通なので、それをこの年齢の時から、縮図として体験している、ということでもあるかなと思っています。
祐介:自分で自分を作っていくこともそうだし、自分たちで自分たちの環境を作っていくことも大事にされている感じですね。
恵子:はい。これが”本当の授業です”とモンテッソーリさんが言っているんですけど、異年齢の環境で子ども同士が教え合う。 コミュニティのメンバー同士でなんとかしようとしていく。 それが本当のクラスであり、本当の社会だということです。
で、さっきの話と重なりますが、異年齢で混じるので、年下の子は上の子を見て尊敬したり憧れたりするし、見て何か学ぼうとする姿が見られます。 逆に上の子は、小さい子に分からないところを教えたり、困った時に助けたりする。 そこで教えていくときに言語化して伝えていくと、それがまた自分の学びになるので、知識としても定着する。 そういったことが実際に起きていくんです。 だから、大人が何かを教え込むとか説明することよりも、子ども同士で学び合い、説明しあったり、関わり合うことの方が本当の授業だ、という風に表現されているんだね。
祐介:そうそう。下に書いてあるけれど、実際、5歳児が3歳児に説明する方が上手かったりするよね。
恵子:大人がやるより分かってもらえる、ということはよくあるなと思います。
祐介:うちの子どもも小さい時、年少さんの頃は年長さんの話をよくしてた。 年長さんになると「年少さんのこれを手伝ってあげたんだ」とかよく言ってたし、そういう感じなんだろうね。
恵子:ね、自然に起きることなのかな。
はい。そして次のページも今の話と同じことですね。 子ども同士の小さな社会の中で、大人の介入がなくても自分たちの力で思いやりや助け合いが起きていくということです。
というのが6歳までです。

―段階③:12〜18歳
恵子:今までのところが、個を作りながら自分を満たしていって、徐々に外に意識が向かっていく時代でしたが、次の6歳から12歳という発達段階では、いよいよ社会的新生児ですね。 社会的な存在として生まれる、という時期になります。
6歳までと6歳から12歳で、劇的な変化があると書いてあるんですけど、子どもの発達、育ちみたいなものが結構変わります。
“理性と想像力によって世界を探求する精神へと移行します”とあります。 6歳ぐらいまでだと割と目の前のものとか、自分が見聞きしたものに対して「これは何だろう」という「何」への疑問ですが、6歳以降になると、その起きていることが「なぜ起きているのか」という理由や論理を求めていくようになります。
あとは、今日のテーマである「社会的」という面では、個というよりはグループ、みんなで一緒に何かを活動することや、自分の目の前の世界だけでなく、広い世界、社会、コミュニティといったところに、より興味関心とか、そこへの関わりとか、そっちを探求したくなっていく方向に向かっていきます。
祐介:そうだね。「なぜこうなっているんだろう」「どうしたらいいんだろう」と興味が移っていった時に、社会に出ながら探求したり、チームになって一緒に探求したりする。 そういう発達段階に入ってくる感じだよね。
“社会的新生児の誕生と群居本能”ってあるけど、この時期に子どもは社会的胚子という状態から社会的新生児へと変わります。 自分の活動プラスアルファのところから、本当にみんなでやっていく、という風に変わる。 そして、大人との関係よりも、子ども同士の関係性が圧倒的に重要になります。 うちの子どもは今度7歳になりますが、本当にそんな感じだよね。友達と一緒にいる時は、親の方を見向きもしないもんね。
恵子:もう、親の方は全然見ないで、子ども同士で活動したいという意欲がすごく強くなってきているよね。
祐介:ここに”群居本能”とありますが、3歳から6歳は1人で探求したけれど、6歳から12歳はグループで活動したいという強い欲求が現れます。
でもなかさ、自分を探求するところからグループで活動する群居本能へ移るところって、人によっていろんな段階があるなと思っていて。 うちの子も難しさがあったよね。
恵子:そうだね。 個人で割と活動してて1人遊びもできるタイプだったのが、みんなと何かしたいという風に変わってきてるなーと感じ始めたというのもあるけど。 そこに移行していく中で、なんていうか本人の中にも葛藤や不安があったんだなと気づいた時があって。
体調が悪くてしばらく幼稚園をお休みしていて、久しぶりに登園するという日の朝、普段はあまり行き渋りがないタイプの子なんですが、声をかけたら「今日行きたくない」と言われたことがあって。 よくよく聞いていくと「僕はいつも1人ぼっちだから行きたくないんだよ」と言ったんですね。
1人ぼっちって、どういうことだろう?と思って聴いていくと、朝みんなで輪になって朝の集いみたいなことをやるんですけど、それが終わった瞬間に、みんなが自分たちでやりたいことを決めて、わーっと散り散りに行ってしまって自分はその場に取り残される。 それが寂しいから行きたくない、ということがありました。
祐介:あれだよね、子どもたちが小さなグループになっていくけれど、自分はそこにうまく入れない、という感じだったんだよね。
恵子:そうそう。自分としては多分群居本能が現れていて、誰かと一緒に活動したいんだけど、うまく入れない自分に気づいててちょっと寂しさがある。 そんな時があったなと。
祐介:群居本能の裏返し、みたいなね。でも友達は友達で群居本能が出てきているから、グループでみんなで遊びに行くことが起きてて、っていう。
あと、メダル事件もあったよね。
恵子:メダル事件ね。マラソン大会の完走メダルが家に大量にあったんですが、それを友達にめちゃくちゃ配りまくっているっていう出来事があって。 他の保護者の方から「昨日立派なメダルをもらってきたみたいなんだけど、これもらって大丈夫?」って、迎えにいくと方々から言われるみたいな。あまりに色んな人に言われるから、そんなに配ってたんだということに気がついて。
メダル自体は全然差し上げて大丈夫なものなんですけど、なんでそんなにたくさんの人に配っているのかというのを子どもに理由を聞いてみると、やっぱりそこにも不安が隠れていて。「メダルが欲しい」って言われたときに、「やだ、あげたくない」と断ると自分は嫌われるんじゃないか、もう仲良く遊んでもらえないんじゃないか、とかどうやらそういう不安があったようなんですよね。
なのでこれも群居本能で、みんなと仲良く活動したい、いい関係性を築いていたいっていう気持ちの裏返しなんですけど、その築き方がまだ手探りで、物をあげることによって築こうとしていたんでしょうね。その不安の話を聞いたりして、「あぁ、変化している時期なんだろうな」って受け取っていた時期がありましたね。
祐介:今はそこを抜けている感じがするけれど、そこはどういうプロセスで抜けていったのかな。何がそれを後押ししたのかな、みたいなのある?
恵子:その時は、本人の中で「いい関係を作る」っていうことと「物をあげる」っていうことが結構紐付いていたので、そこは必ずしもイコールじゃないっていうのは伝えたいなって思っていて。
「あなたが何かプレゼントしなくても、お父さんとお母さんはあなたと仲良く遊ぶし、いい関係を築けているよね」という話とか、「物を渡さなくても仲良く遊んでくれる友達はいるよね」という話をして、その時は物をあげることと仲良くすることは必ずしもイコールじゃないよね、ということを伝えた記憶はある。その時どこまで本人にその話がピンときていたかはわからないけど、そんな話はした。
祐介:なるほどね。ベースとして「そこにいて大丈夫なんだ」という安心感、今回は家族だったけど、そういう安心のコミュニティがあるのは大事なことだよね。 0歳から3歳の時の安心感にも繋がるけれど。
あとは、いくつかのコミュニティがあることも大事かもしれない。 移行期で揺れる時期に、「ここはどうやって仲良くなってっていいか分からないけど、こっちのグループでは安心して過ごせる」という場所がいくつかあると、感覚的にコツを掴んでいけたりするからそういうのも大事かな、って思ったかな。
あとは、スタッフが遊びのプロジェクトをやってくれたのも影響しているかな。 「このプロジェクトやりたい人」「これやりたい人」という関わり方をしてくれたことで、どこかのグループに入れるし、みんなで一緒にやることに慣れていったというか。 そういうのも環境というか関わりとしても影響していたのかもしれないね。
恵子:で、グループで活動していくと、コミュニティの中でルールを決めたり、リーダー的な存在を選んだりする小さな民主主義が始まっていく。世の中の民主主義で行われているようなことが、子どもたちのグループの中でも起きていく、そういうことが始まっていきます。
あとは、6歳から12歳の子どもは「道徳感」が強くなってくる特徴があります。 何が正しいのか、正しさを追求したり、白黒はっきりさせたがったりします。 私たちも子どもに「それは違う」とよく言われます。
祐介:大人はグレーで返しがちだからね。
恵子:グループを運営する時に、正しくない行為があったら白黒はっきりさせたがるとか、そういうことも行われます。
祐介:“社会的摩擦を通じた成長”と書いてあるけれど、例えばプロジェクトとかやっていくと意見の対立とかも起こるから、そこを話し合いながら解決していくみたいなことも起こってくる時期ですね。
今話しながら思ったけど、自分が子どもの頃を思い出すと、道徳とかリーダーって上から降りてきて「やるもんなんだ」と思ってやっていた記憶があるけれど、この話は逆だよね。子どもの中からその必要性が生まれてきているとか、活動する中で「ルールって大事なんだ」と自分たちで気づくとか、そこから生まれているのがすごく特徴的で、まさに社会を作るということにつながるなと思ったかな。
恵子:自分が小さい時は先生から与えられた印象があるけれど、なくても自分たちの中から生み出せたものなのかもしれないね。
祐介:そうなんだよね、社会って元々そうやってできてきたものだと思うから。
―段階④:18〜24歳
恵子:そして次は12歳から18歳、思春期ですね。 中高生ぐらいの年齢なので、また様子が変わってきます。
徐々に大人に近づいていく時期なので、モンテッソーリで提案されているのは、親元を離れて、寮などで共同生活しながらやっていく農場学校のような形です。 自立して自分たちで生活していくということなので、当然そのコミュニティの中で「社会性」は発揮されていくし、例えばこの農場学校のようなところであれば、生産して販売するみたいんことが行われるので、本物の社会活動とも結びつく活動をしていくと、人としての関わりもそうだけど、社会との関わりも学びながら、社会的な存在になっていくためのひとつのステップとして過ごしていけると。
祐介:思春期や反抗期で、体も精神もガラッと変わる時期だから、割とゆったりとした環境の中で、実際の社会はどうなっているのか生産や販売を体験しながら、将来のことを考えたりすることが「社会性」に繋がっていく、という考え方だね。
で、18歳から24歳になると、”実社会への適応と経済的自立”って書いてあるけど、この時期は実際に仕事に就く人も多いから、仕事をして経済的に自立していくとか、職業を通じて実社会にどんな貢献ができるのかというのを仕事を通じてやっていくとか。
恵子:本当の社会に適応していく時期という感じだよね。
祐介:今話してきたことを全体を振り返ると、0歳から3歳はまず環境への信頼が大事。 3歳から6歳は個人の活動が実は大事で、それが人への思いやりに繋がるというのがあり、6歳になるとグループ活動や社会への関心が出てきて、12歳から24歳は実社会に向けて準備していく。そんな感じの社会的な発達というのがモンテッソーリの考え方です。
あと全体を話してきて思ったのは、今回の副題にもあった「個人が先にあって社会に繋がるのか、社会が先にあってそこに個人がいるのか」という話。 モンテッソーリさんの考え方は、個人が先だよね。 個人があって、それが他者に繋がり、良い環境を作っていくという発想だなと思っていて。
日本って言ってしまっていいかわからないけど、一昔前の日本を思い出すと、先に規定された社会があって、その中に要員として個人がいる、という感覚があった気がするなと思っていて。そこに合わせて均質なことができる大人が大事とされて、全員が同じレベルである必要がある、という発想。それが教育に戻ってくると一斉に何かをやろうという発想になっていくな、と思っていて、でもそれは社会が先にあっての個人という考え方だと思うんだよね。
でも最近は、日本の中でもそういう発想じゃなくなってきていると身近な場面でも感じてて。 変化が激しい時代なので、均質性ではなく、その人その人の特徴とか特性をうまく重なりながら、組み合わせながら良いものを作っていこうという発想になっていっているなみたいな感じがする。 そういう意味では、モンテッソーリさんの考え方は今の日本の社会にもすごく合ってきているのかなと感じます。「個」も相対的に大事になってきている気がする。
恵子:はい、こんなところでしょうか、今日は「社会性」というテーマでお話ししてきました。
最後に
「社会性」をテーマに復習した後、今回もご参加のみなさんからご感想やエピソードを伺いました。
日々起こる出来事、直面する子どもの姿に、私たち大人の中にも喜びや、戸惑いや、心配など…色んな感情が湧き出てきますが、目の前の子どもにはその子のペースでの育ちがあり、いつか本来のその子らしい姿を現すんだと信じる気持ちを大切にしたいな、と色んなお話をお聴きしながら思いました。
この公開復習会は、モンテッソーリ教育における発達心理学という分野で、テーマを1つずつ設定して実施してきました。
モンテッソーリの考え方は、私たちも保護者のひとりとして、子どもと向き合う時の指針になったり、立ち戻れる場所になったりして助けられたので、これまでの復習会が、そんなふうに少しでも皆さんのお役に立てたら嬉しいです。
今後また、モンテッソーリ教育の考え方やエッセンスを生かしながら、今日のように一緒に話したり、聴いたりできる場を作っていきたいと思っています。
今月ご参加のみなさま、ありがとうございました。
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