自分の子どもがオモチャで遊んでいました。そこの他のお家の子どもがきて「私もやりたい」と言いました。

こんな時、親はどうするでしょうか。

「○○ちゃんもやりたいって。貸してあげたら。」
「一緒に遊んだら。」
こんなふうに言うことも多いですよね。

「ゆずる」「分かち合う」という社会性を身につけることができる気がして、私自身、とても大事だなと思います。


しかし、最近はこんな関わり方もします。
「今やってるから待っててね。やり終わったら○○ちゃんが今度は思いっきり遊んでね。」

もちろん時と場合によります。
そして中々言いづらいです。これは親が親に気を遣っている側面が大きいですけどねw

それはいいとして「待つ」という社会性もとても大事なんじゃないかと思うようになったんですよね。

自分が何か一生懸命やっている時には待っててもらう。
しかし、逆に相手が何か一生懸命にやっている時は、邪魔せずに待つ。

これってお互いの自由を尊重することにつながるなぁと。
相手を大事にするという社会性を身につけることができる気がします。

それと、社会に出て待たなくていいということはほとんどないので、それも覚えられるなあとか。


そんなことを考えていたら「待つ」ということ自体に興味が湧いてきました。


待つというと私の中で「長時間待たされるとか」、わりと受け身でネガティブなイメージと紐づいているのですが、そんなこともないのかなと。

「旅行を楽しみに待つ」
「吉報を待つ」
「会いたい人を待つ」
「お互いの自由のために待つ」
「何かが起こるのを待つ」
「ただ待つ」

「待つ」というのは、受け身ではなく結構主体的なことなのかもしれない。
そんな風に思った朝なのでした。

Good morning

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