【モンテッソーリ公開復習会レポート】 第8回 <「モンテッソーリ教育って子どもに好き勝手自由にさせるんでしょ?」という誤解>

モンテッソーリ, 公開復習会, 育児

今回の復習テーマ

AMI(国際モンテッソーリ協会)公認のモンテッソーリ教師である私たちが、時折開催している「Montessori Nature」というイベントの名前が商標登録され、それを機に改めてモンテッソーリ教育について学び直し、復習する時間を持つことに。

私たちの願いは、子どもとの関わりによって、子どもももちろん、大人も楽しく過ごせたらいいなということ。
この復習会を2人の中に閉じず公開したら、一緒に楽しんでくれる誰かがいるかもしれないという思いで、この企画を実施しています。

そして第8回目のテーマはこちらでした。

【第8回 モンテッソーリ公開復習会テーマ】
<「モンテッソーリ教育って子どもに好き勝手自由にさせるんでしょ?」という誤解>
〜 好き勝手な自由は無法地帯。自由と規律の関係とは。そしてAI時代に考え直すべきこと。 〜


復習トークサマリ

―モンテッソーリ教育にまつわる誤解

祐介:いつも我々がモンテッソーリ教育を学んだ時に作っていたノートやアルバムというものを共有しながらこの会を進めていたんですけど、それらを一旦AIに入れてスライドを作ってもらったら、そっちの方が分かりやすいかもという感じになったので、その資料を共有しながら行きたいと思います。とはいえ、AIに作ってもらったスライドなので「この文言はどうなのかな」とか「表現がどうなのかな」というところがあったりしますので、そこは少し後ほど補足しながらいきたいと思っております。

恵子:今月のテーマは、「モンテッソーリ教育って子どもに好き勝手させるんでしょ?」っていう誤解 〜好き勝手な自由は無法地帯。自由と規律の関係とは、そしてAI時代に考え直すべきこと〜。
今映している資料にあるように「自由と規律」みたいなことがテーマになっております。
色々お話ししていくんですけど、キーワードとしては今言った「自由」それから「規律」。あともう一つは「制限」。この3つが今日のキーワードになってくるかなと思います。

祐介:はい、その3つですね。他にも色んな言葉が出てきたりするんですけど、「自由」と「規律」と「制限」のところに頭をフォーカスしていただきながらお話を聞いていただけると良いかなと思います。


恵子:はい、ありがとうございます。じゃあ「自由と規律」について話していきますね。早速キーワードの2つが出てきているんですけど、これ、コインの表裏です。コイン1枚の表裏でワンセットという感じのものだと位置づけられていまして、それがどういうことなのかという話をここからしていきたいと思います。

最初に今日のタイトルにあったモンテッソーリ教育の誤解という話です。AIが「最大の」ってすごい強調してくれているんですけど、最大かどうかは分からないですが、よく誤解があります。それは「放任」と「強制」です。

放任は、例えばモンテッソーリの環境にイメージがある方は分かるかもしれないですが、子どもが一人ひとりバラバラに色んなことやってます、みたいなシーンがあるので「何でも好きにさせてるんでしょ、放任なんでしょ」みたいなこととか。
一方でモンテッソーリの環境って「教具」と呼ばれる特徴的な道具を使って活動することが多くて。その教具って、ある意味使うやり方やプロセス、手順が決まっていたりするので、「型にはまった活動をさせられてるんでしょ」という強制っぽいイメージを持たれることもあります。

ただ、モンテッソーリ教育というのは放任でもないし強制でもない。その辺が誤解をされることが多いんだけど、実はそうじゃないんだよというのをまず伝えたいです。


―キーワード① 「自由」

祐介:じゃあモンテッソーリでいう「自由」ってどういうことなのか、というところに入っていきましょう。

恵子:自由と言った時に色んなイメージがあると思うんですけど、モンテッソーリ教育の中で自由と言った時には、ここに書いてあるように「その人がその人らしく発達していける、伸びていける」ということが本当の自由であると考えています。

そもそも自然界にある全てのものは、人間も含めて動物も植物も全部、自然の法則や秩序に従っている時がすごく幸せなことだし、最も自由だということなんですね。
法則に従うってどういうことかというと、例えば渡り鳥が北から南へ行き来する話とか、木が秋になると葉っぱに色をつけて落としてまた芽が出るという循環をしていくこととか。あるいは鮭が産卵のために川を登っていって卵を産むとか。要は、法則に従って動物や植物が生きていっている。そのもの自身がそのものらしく発達していける、活動していけている状態ということなんですけど、まさに人間も同じように、人間が持っている法則みたいなものに従って発達していけている、伸びていけていることが、人間としては本当の自由なんじゃないかと置いているわけです。

祐介:そうだね。生き物、生物として、その種の特徴みたいなものを発揮していく。発揮していけるようになっていくプロセスが自由だと言っている感じですね。だから人間には人間の種としての特徴があって、その特徴を思う存分発揮していく。その能力を獲得していくプロセスが自由なんだと言っている感じですね。

じゃあ人間の特徴って何なのというところで、ここに「人間の傾向性」と書いてありますが。以前の復習会の時にも出てきましたけど、人間ってどんな場所に住んでいても、どんな人種でも持っている、人間ならではの特徴があります。
探索する生き物であるとか、コミュニケーションを取る生き物であるとか。あと、ここには「仕事」と書いてありますが、手を使って活動する生き物であるとか。そして活動しながら自分で「自己訂正」をして、自分からより良くしていきたいとか、それによって「あ、できるようになった」と自己完成していく種。それが人間の傾向性としてありますという話です。

今回の「自由」というところは、この人間の傾向性を思う存分、その人がその人の特徴に寄り添いながら獲得していくことに繋がります。より分かりやすく傾向性と繋げるとこんな感じかな。

例えば人は「仕事」という活動の中で手を使う特徴がありますが、手と頭を使って環境に働きかける。例えば手を使いながら料理を作るととかでもいいんだけど、そういうことをして。自己訂正というのはその時、うまく卵焼きが焼けなかったなと間違えた時に、じゃあどうやったらうまくできるのかを試行錯誤していくことですね。
で、試行錯誤していく時に、外から「こうやるんだ」と言われるんじゃなくて、自分でこうやって直していこうと。それを自分でやっていくことによって上手になっていって、そこで「自己完成」していく、「あ、できたんだ」となっていく。そんな風に、人の種の特徴があって、活動していく過程で自己完成していく、できるようになっていったことが「自由を獲得していったんだ」という考え方になります。

恵子:うん。自由と言った時に、もしかしたら皆さんもお子さんに接している時に、どこまでが自由でどこからが放任なんだろうと、線引きを迷う時があるかもしれない。私自身もあったりするんですけど、、、自由と放任は違うよという話がここに書かれています。

ちなみに私は、ベースの性格が放任っぽい人なので放任しがちで、、、「あなたの好きにしたら」というトーンが多い人なので、夫にも子どもにも割と放任が発動されがちなんです。でも放任と自由は似て非なるもの。「あなたの好きなようにしたら」というのは、つまり「あなたのことはどうでもいいです。関心がないです」というメッセージを送っているのと一緒だと書かれています。

自由というのは、ページの下の方に「出発点じゃなくて到達点」と書いてありますが、これは何かというと、自由って最初から自分に渡されているものではない。外から「はい、あなたの自由はここからここまでです」と最初からあるものではなくて、自らの努力と成長の後に来るものなんです。
例えばさっき料理の事例がありましたが、途中でやってみてうまくいかなくて、繰り返し工夫しながら間違いを訂正してやっていって自己完成に行った時に、人は「できるようになった」という能力を獲得するわけですよね。その能力を獲得していった先に、また次のステップや選べるものが増える、やれるものが増える。そういう自由を結果として獲得できるものであると考えています。
なので、自由は最初から目の前にあるものではなくて、活動して、繰り返しや工夫をしながらやった結果、能力を獲得したその先に得られるものであると。ここにも「能力と共に獲得されるもの」と書いてあるのはそういうことです。

祐介:そうだよね。放任は人からの関わられ方の話だけど、自由は人から与えられるものではなくて、自分の中から作っていくもの。自分が獲得していった状態のことを自由と言っている。そこもそもそも違うという感じだね。


―キーワード② 「規律」

祐介:はい。そして2つ目のキーワード、コインの表裏と言っていた「規律」が出てきました。自由が最初から外から与えられるものではないという話がありましたが、規律もまさにここに書かれている通りで、内側から生まれるものであるというところがポイントだと思っています。

恵子:外側から「こういう風に規律正しくしなさい」と言われてできるものではなくて、自分が活動していく中で、自分の中から自分でコントロールしようとしていく中で、内側から生まれてくるものです。

例えばモンテッソーリの環境だと、本当に小さい2歳ぐらいのお子さんの活動で、ピッチャーに入った水をコップに注ぐという活動があったりするんですけど。2歳ぐらいだと、どれぐらい傾けたらいいのか、どの辺でやめればいいのか、一気にぶわっといっちゃうとか、最初はコントロールできないんです。でも、こぼれてしまったのを見て「どうしたらこぼれずにうまくキリのいいところまで入れられるだろうか」と自分で工夫していきます。そうすると力の加減、傾き加減、注ぐ勢いみたいなことを、自分で色々工夫したり考えたりしながらコントロールできるようになる。それが自分を律しながらできるようになるということで、活動していく中で自分の内側から生まれてくるもの、それが規律だと考えられています。
1個目のキーワードである「自由」も2個目の「規律」も、与えられるものではなく、活動を繰り返す中で生まれるものであるというところはポイントですね。

祐介:そうだね。ピッチャーの例にしても、外の人が「この角度でやるんだよ、この力加減で」と言っているわけではなくて。自分で何回も繰り返したいということがあって、その中で規律を獲得していく。獲得した結果できるようになったもの、それが自由なんだという考え方になるかな。それを図にしてあるのがこれですね。自由から規律への関係が書いてあります。


図の上に「自己選択」と書いてあるけど、これは今自分が獲得した自由に基づいて「あ、こんなことをやれるかもしれないな」と自己選択をして。選択したものをモンテッソーリではお仕事とか活動と言うけど、そこで活動をして手を使ったり具体的な活動をしたりする。その中で集中に入っていって、何回も繰り返したり、うまくいかないなと自分で感じながらうまくいくようにやったりする過程で規律みたいなことが生まれて、できるようになる。それが自由を獲得したということ。

獲得した状態をベースに、また次の選択をしてみようかな、となっていく循環ですね。規律が自由につながり、自己選択という自由がまた規律につながって、表裏だと言われている。

恵子:これがぐるぐる回っていく感じだね。両方セットというか。

祐介:そうだね。初めの方にあったモンテッソーリの活動で、本人が選んでいる、好き勝手選んでいるとパッと見そういう風に見えたりするんだけど。そうではなくて、自分が獲得した自由によって「次これやろうかな、やってみようかな」と選んでいるイメージかな。

恵子:そうだね。個々に色んなことやってるから、誤解のところでお話しした通り「好き放題それぞれやってるんでしょ」という感じに見えるんですけど。当然個人個人がこのサイクルを回していくわけなので、その人が持っている能力や、その能力を獲得した結果手に入れた自由は人によって違う。その能力や自由に沿って自己選択して活動しているので、一見好き放題に見えるけれど、規律と自由をその人に合わせたものを選び取ってやってるということだね。


―キーワード③ 「制限」

恵子:そして3つ目のキーワードが出てきましたね。「制限」。
自由と言っても、何でもオッケーとか無法地帯とかそういうことではないです。必ず制限はセットで伴います。

祐介:この制限は外から来るものなんだよね。自由と規律は内側から出てくるものだけど、制限は外から。大人の役割と言われたりするものになります。
制限のイメージで言うと、よく「ガードレールの役割」と言われたりします。車の例で話すといいと思うけど、能力を獲得して車を運転できるようになりました。それを発揮したいわけだけれど、どうぞと言われてガードレールもなくて、信号もなくて、スピードのルールもなくてっていう状態に置かれた時に、その能力は発揮できないんだよね、怖くて。何が起こるかわからないから。

それが発揮できるための、やっぱり最低限の制限みたいなものは必要だったりします。それをガードレールと表現してるんだけど。でもやっぱり最低限に収める必要があって、必要な制限はあるよねということがここで語られています。モンテッソーリの文脈でいくと、一つは他者の権利。「人の邪魔をすることはしちゃだめだよ」ということは制限としてあります。あとは安全性。「他の人を傷つけてしまうことはだめだよ」という。それを明確に制限するところはあります。ものを大切に扱う、という感じの制限もあったりします。
最大限のガイドをどう設定するのかは大人の関わりとしてすごく大事な部分だし、後で皆さんと話してみれたらいいなと思っていることかな。補足とかある?

恵子:前のページと重なりますが、例えばモンテッソーリの環境においては、選択というところでいくと、何の活動教具を使うか選ぶ自由はあるんだけど、人が使っているものは使えないとか、使い方が分からない、あるいはその能力がまだないというものは使えないという制限がある。自由もあるけど同時にガイドラインとしての制限もセットである、という感じです。


―子どもの「自由」と「規律」を支える環境と「制限」のあり方

祐介:自分で自分をコントロールしていく能力をつけていくことが規律と自由を手に入れられるという話ですが、初めは衝動の状態だからコントロールできない。そこからどうやって自分をコントロールしていくかのプロセスが書いてあります。
0歳から3歳ぐらいまでは無意識の衝動、ホルメと呼ばれる生命衝動に突き動かされていて、自己コントロールがなかなかできなかったりする。なので自由という文脈で言うと、この時は結構不自由な状態だったりします。そこから少しずつ発達していく過程で、手を使った活動、自分で選ぶ経験をする中で、規律が生まれたり「こうしよう」という意思が少しずつ生まれていったりするのが段階として出てきます。

そして3歳から6歳になってくると、意識的に「これをしよう」とか「これはしないでおこう」とか「ここは我慢した方がいいかも」という風に意思が発達して、自分をコントロールできるようになっていくことに繋がります。
今までの話だとなんとなく物理的な能力、手が使えるようになるイメージをしたかもしれないですが、精神的なものとして、自制心や意識的に選択することも獲得していきます。

これがより進んでいくと、能力の獲得とともに色んな選択ができるようになってきて。
例えば「これは自分が言っていることではなくて、あの人が言っていることの方を選択した方がいいのかもしれない」と相手のことを取り入れられるようになるという選択ができるようになったり。
もっと複数のコミュニティの中で「こういう活動がもしかしたらいいのかもしれない」とか「みんなの意見をどう受け取るか」ということが選択肢に上がってくるとか。意識的にも選択ができるようになっていくところで、それは自由を獲得していっているんだ、という考え方になります。

じゃあそれを知った上で私たちはどんなことができるのというのが、このページですね。「環境の整備」、「活動のサイクルを守ってあげる」、そして「介入を最小限にする」。
さっきのサイクルの話をしましたが、子どもが自分の能力や自由に見合った選択をして活動して、試行錯誤しながら能力を獲得してまた自由が増えていく。あのサイクルを、大人としては支援したい。なので、子どもの発達に役立つ活動を用意しておくことや、サイクルが十分に回せる時間や場所を確保してあげること。あとは「自由と規律は外側からではない」とお話しした通り、横から大人が「ああしろ、こうしろ」と言うことによって生まれるものではないので、子ども自身の中で生まれてくることを信じて、大人は介入をできるだけ最小限にする。この辺りが役割として大切なところになってくるのかなと思います。

恵子:そうだね。ちょうどいい制限、最低限のガードの制限にしておく。環境の整備で行くと、極端に言えば、難しいものばかりで大人のものしかない環境だと、子供が自由選択して集中して間違いを訂正しながら自由を獲得するプロセスが回せないという話になるし。逆に何のチャレンジもないものしかないと、それはそれで次の選択肢を増やせない。手を動かして次の自由を獲得するプロセスが回せない。ちょうどいい環境を用意できるといいですね。難しいですけど。

祐介:このページにある大人やチームへの応用というのも面白いよね。「規律ある自由な組織へ」と考えた時も、大人も人間の特徴を発揮しながら生きているので、自由を獲得していくのは大事。
組織でその人の活動の自由がちゃんと確保されているか。最小限の制限になっているか、過剰な制限や逆に何の制限もない状態になっていないか。仕事の設計として没頭できる仕事が用意されているか。自己訂正で言うと、外からの命令で訂正するだけでなく、仕組みとしてフィードバックがあって自分で気づいて直せる仕組みがあるか。観察と調整で、環境によって摩擦を減らす工夫がされているか。大人の世界でもすごく応用できる考え方だなと思いました。

恵子:自由はその人がその人らしく発達していける、伸びていけることだという話を最初にしましたが、大人も自分らしく伸びていくことが大事で。ある程度のガイドラインの中で自分が没頭できるものが仕事としてあって、「ああしろ、こうしろ」じゃなくて自分なりに工夫しながらやっていって、「お、うまくいった」という体験は本当に大事だし喜びだったりする。大人でも大事なことなのかなという気がする。

祐介:最近そんなプロセスは回ってますか?ちょっと聞いてみたくなった。

恵子:まさに昨日、竹細工を習い出しまして。全然理屈が分からなくて先生に聞きながら始めたんですけど、その中でやり方や理屈を教えてもらって自分なりに「こうかな」と手を動かしていくのは、やっぱりすごく没頭できたし。その中で「あ、掴んできた」という感じになると、自分の工夫とか間違えながらやっていくのは、自由だという感覚だったかどうかはあれだけど、満たされた感じというか自分らしく取り組めているなという感覚にはなったなという気がした。

祐介:そうだね。それによってまた次「こういうのやってみようかな」と自由度が広がるのかもね。

恵子:あ、そうだね、そうかもしれない。

最初「コインの表裏です」という話からスタートして、自由と規律のサイクルも見ていただいたんですが。今持っている自分の能力や自由の中で自己選択をするところからスタートしてサイクルが回りますという話でした。
自由がなければ規律は生まれないし、規律があってできるようになるからこそ能力が増えて次の自由が得られる。規律がないと自由も得られないということで、表裏ワンセット、サイクルが循環していく環境や時間を守ってあげることが大事だと考えられているということでした。

祐介:そうだね。自由は入り口ではなく到達点だという話があったけど、自己選択をしてやっていく中で規律が生まれてまた自由を獲得して、というのが人生の中でたくさん回っていって、その人が自分らしさを発揮してその人になっていくことが最終的な自由の到達点なんだろうなと、復習しながら理解しました。


ー自由と規律の観点でAIをどう考える?

祐介:最後にこのAIの話。AIがすごく出てきている中で改めて考えたんですが。AIって何でもできるから一見広がりがあって、色んなことができるようになっている。それは素晴らしいし僕も活用していますが、自由を獲得していくという点では、選択をして自分で手を動かして、その間違いを自分で直していく過程で規律が生まれる。そこをショートカット、省いてしまうリスクがあるなと思っていて。

できることが増えている分、プロセスが回らないというか。やってみて間違って自分で試行錯誤することが少なくなってしまうと、それは規律も生まないし自由も生まないという発想になってしまう。その人がその人になっていく過程で、どういう使い方をするのがいいのかはすごく大事なんだろうなと思ったんだよね。

恵子:さっきの制限の話とも繋がると思うけど、どのタイミングでAIを使い始めると、先ほどの自由と規律のサイクルを阻害せずにうまく回っていくのか。大事な観点だなと思いました。一見便利なようで、試行錯誤や自己規律や自由獲得のプロセスが回らないと本末転倒というか。

祐介:改めてそういう観点から使い方を考えるのは大事なのかなと思いました。何か思うことある?

恵子:サイクルの話でいくと、自己選択する手前に何らかの能力があって、だから選べる自由があるという話だったと思うから。多分、何もなしに丸投げでAIを渡すのはちょっと違うかなと思っていて。
AIという手法やツールを選択できる手前で何か能力を獲得しているからこそ、AIを使える自由が手に入って、それを活用して試行錯誤していく。そういう渡し方ができると規律や次の自由につながるのかもしれないけれど。何もなしにポイっと渡すのだと、サイクルに乗せるのが難しいのかなという感じはしています。

祐介:確かに。ありがとうございます。その辺もこの後皆さんに聞いてみたいなと思ったりしました。


最後に

前半は上記のような復習をしつつ、後半20分ぐらいご参加のみなさんとお話ができました。

  • 「日本の歴史的・文化的な背景から自由ってこんな風に捉えられがちだよね」という、自由に対するイメージや捉えられ方の話
  • 「全く自由だよ、自由にどうぞ」と言われた時に戸惑い動けない子どもたちの姿と、そんな時の大人の関わり方について
  • 子どもたちをよく観察し、発達の段階にあった活動の選択肢を環境の中に用意した上で、興味を惹きつけるような提案をすることの重要性
  • 既存の制限を超えた自己選択をした場合にも、その活動のプロセスを通じて自律的な規律を身につけていけるのではないかという可能性

…など、復習内容についてのご感想や、今みなさんがそれぞれの立場で見えている子どもの姿や景色からの課題や、対応事例や、そこで思うことなどをざっくばらんにお聴かせいただきました。


ご参加のみなさまも、復習会の中で声を出してくださったみなさまも、ありがとうございました。

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