親が子どもの世界に入って解決するのではなく、自分たちで考える力を育むには
先日、息子と公園に行った時のこと。
最初は遊具で思い思いに遊んでいた子どもたちが、次第に公園内の石や葉っぱに興味を持ち始め、みんなでエノコログサ(猫じゃらし)集めが始まりました。
長いもの、短いもの、大きいもの、小さいもの、、色んなサイズのエノコログサが集まると、今度はどこからか木の棒を見つけてきて、菜箸に見立ててエノコログサの料理を始めます。
一緒に遊んでいた3人のうち、息子だけちょうど良い木の棒を見つけることができずにいました。他の2人が棒を使って料理をしている隣で「僕の木の棒がない!」と息子が言っているのを聞いて、近くにいたお友達の親御さんが「みんなで一緒に探しに行こう」と提案してくださって(お気遣いありがとうございます!)、みんなで木の棒探しが始まります。
みんなでしばらく公園内を探したのですが、大きすぎず小さすぎず、太すぎず細すぎずちょうどよいサイズの木の棒を見つけることができなかったようで、そうこうしているうちに、エノコログサでの料理ごっこは終わり、棒を手放してまたみんなで遊具遊びに戻りました。
しばらく遊具で遊んでいるうちに、さっきまでお友達の一人が使っていた木の棒を、お友達のお父さんが持っていることに息子が気づき「貸して」と言って貸してもらい遊び始めました。さっきまで自分だけ棒で遊べなかったのでとても嬉しかったのでしょう、棒を持って飛んだり跳ねたり走り回ったり大喜びです。
あまりに大はしゃぎしている様子を見て今度はお友達のAくんが、自分がお父さんに預けていた棒が使われていることに気がつきます。
Aくん:「僕の棒は?」
お父さん:「貸してほしいって言っていたから、貸してあげたんだよ。Aくんは遊具で遊んでいて今は使っていなかったでしょう?」
Aくん:「あれは僕が使っていた棒なんだよ、返してよ」
というやり取りになり、そのうちAくんは大きな声をあげて泣き始めました。
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話は変わりますがモンテッソーリのクラスに用意される教具の数には制限があり、どの教具も原則、1セットずつしか置いていません。
モンテッソーリのクラスでは、子どもは自分の取り組みたいものを自分で選択でき、それを好きなだけ、自分のペースで、繰り返して活動できる自由がありますが、もちろん他のお友達にも同じ自由があり、もし自分が取り組みたかった教具を他の子が使っていた場合は、その子が活動を終えるまで使うことができません。
でもそれはモンテッソーリ環境でのルール。クラスの中であればそのルールを元に子どもと話ができますが、外で使うもの、おもちゃ、遊具などを誰がどのように使うかは自分たちで折り合いをつけていかなければなりません。
「他の子が使っているものを自分も使いたいから貸してほしい」と思うのも意思であり、「まだもうちょっと自分が使って遊んでいたい」と思うのも意思。色んな活動や人との関わりを通じて徐々に意思が育ってきている3〜6歳という時期だからこそどちらの意思も大事にしたいので、私は「次の子に貸してあげて」「まだ使っているからもうちょっと待っててあげて」と大人が指示をしたり介入するのではなく、基本的には本人たちが話し合って決めるように促したいと思っています。
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この日私は息子に「Aくんが返してほしいって言っているよ」と事実を伝えた上で、「どうする?」と問いかけてみました。息子は「やだ!」と言って棒を持って遠くに走っていきます。そして今度は誰にも届かないところに逃げようとしたのか、戻ってきて滑り台の上に登ります。
そこで今度は、息子の気持ちもちゃんと伝わっているんだよと理解を示した上で、「さっきは自分だけ棒を使えなかったから残念だったんだよね、だから棒で遊びたい気持ちはわかってるよ。でもその棒、○○も使いたいけど、Aくんも使いたくて、二人とも使いたいと思っているみたいなんだけどどうしようか?どうしたらいいと思う?」と声をかけてみました。
するとまた「やだ!」と言って、今度は滑り台の上から棒を投げ捨てました。自分は使いたい、でもお友達が泣いているのも見える、母親にはどうしたら良いか自分で考えるように促される・・・色んな状況の中で気持ちのやり場がなくなって物を投げるという形になったのかもしれません。
返すにしろ返さないにしろ本人たちに決めてもらおうと思い、もう少し対話しようかなと思っていたのですが、その間に帰る時間が来て、Aくんも帰ろうとしている様子だったので、私はAくんとお父さんにお詫びとお礼を伝えに行き、私たちも帰ることにしました。
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公園からの帰り道、子どもが少し冷静になってきたのを見計らってもう一度話しかけてみます。
私:「さっき公園で同じ棒を○○もAくんも使いたかったと思うんだけど、また同じようなことってあると思うんだよね。今日みたいに1本しかない棒を二人とも使いたかったり、保育園で1個しかないおもちゃを○○もAくんも使いたいよってなった時はどうしたらいいかな?」
息子:「でも、○○も使いたいんだよ」
私:「そうだよね、使いたいよね。でも○○と同じようにAくんも使いたいって言ったときはどうしよう?何か良い方法あるかな?」
息子:「うーん・・・一緒に使う」
私:「一緒に使う、それは良いアイディアだね。他にも何かできそうなことあるかな?」
息子:「僕が使っている間、Aくんに代わりに他のおもちゃをあげる」
私:「そうだね、他のものを代わりにどうぞってするのも良いかもしれないね。今すごく良いアイディアを出してくれたから、今度二人が同じものを使いたいってなった時にはやってみてね」
次に同じことが起きた時にどうしようか、本人なりに考えて案が出てきたのでこの件についての対話は一旦ここまで。公園にいたときに解決策まで着地できなかったので、Aくんには本当に申し訳なかったですが・・・
完全な第三者として子どもたちに関わるなら私自身もフラットに判断や対応できますが、自分の息子が関係していると、みんなで仲良く遊んでほしいという親の願いから、「返してあげたらどう?」と言いたくなる気持ちは自然に出てきます。
実際に介入してその場を何らかの形でおさめることはできますが、何か起こったときはいつも大人が助けてくれるのではなく、自分たちで話し合って解決できるようになってほしい。これもまた私の親としての願いでもあります。
その方法を一緒に考えるお手伝いをしたいと思っての関わりでしたが、「あの対応で良かったのかな・・・」という迷いと葛藤が入り混じる夕暮れの帰り道となりました。
きっと明日も明後日も、子どもたちがいつも通り仲良く過ごしてくれている様子を見られたらホッとする自分がいたり、やはり子ども達の世界は子ども達で作っていってほしいと願う自分もいて、葛藤しながら関わり方を模索していくのだろうなぁと思います。
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