争うときに自分の正しさにこだわってしまいドツボにはまるワナ

マネジメント, 本質行動学

先日、2020年1月から通っていたEssential Management School(以下、EMS)2期を修了しました。実際に受けてみる前は「本質って一体どんなことを学べるのだろう」と正直得体のしれない感覚もあったのですが、印象に残っているトピックをいくつか、学びのアウトプットの意味を込めてブログを更新していきたい思います。

(EMSについての前回のブログ)



信念対立

前回は、

意味や価値というものは、絶対的なものではなく、
その人の関心に相関する形で決まる

という関心相関性について書きました。

これを読んで、「人はそれぞれ価値観が違うんだから、みんな自分の関心に照らして判断するなんて当たり前でしょ」と思いますよね。
そう、当たり前なんです。でも人は、その当たり前のことを忘れてしまいます。

意味や価値は、絶対的なものではなくその人の関心によって決まるのに、人はなぜか自分の価値判断が正しいと思ってしまうので、この価値判断のときに私たちはよく対立を起こします。

自分が大事にしていることであればあるほどです。大事にしている価値観を否定されたり拒否されたら嫌な気持ちになることは容易に想像できると思いますが、つまり争いは関心の高いところで起きます
そして自分が価値を感じていることは大切に思っていることでもあるので、ちょっとした差異に気づくし、その自分の価値判断の正しさににこだわるようになります


関心の高いことだと、自分の正しさを証明したくなる

以下は前回お見せしたバスタオルは毎日新しいものに変える派 VS 2回ぐらい使ってOK派の事例です。

もしバスタオルに関してとても関心が高かったとして、家族で上記のような争いになったらどうなりそうでしょうか?毎日変える派は、なぜ毎日変えるべきなのか理由を探して一生懸命相手に伝え、2回使ってOK派は、繰り返し使う理由・一度で交換しない理由を見つけて相手に伝えるでしょう。

どちらにもそれなりの理由があり、また、人は自分を認めてほしいし、肯定されたい思いがあるので、相手にわかってもらいたい一心で自分の言っていることがいかに正しいかをどんどん説明していくかもしれません。こうなると、お互い自分の正しさにこだわるようになり、ドツボにはまっていきます。
本当はどっちが正しい or 正しくないではなく、ただ、それぞれの価値判断がただ違うだけなのですが・・・

前回の私の新卒時代のエピソードでは、とても優しい先輩だったおかげで幸いにも争いにはなりませんでしたが、お互いに価値を感じているポイントが違っていたはずなので、信念対立が起きて争いになっていた可能性もあったな・・・と。


いかにそこに意識を向け、実践できるか

これをEMSで学んで理解したとしても、私たちは主観で物事を見て捉えるし、主観で判断してしまいます。そして、「判断」は言葉や行動に現れますが、「物事の見方や捉え方」はその人の中にあり、外からは見えません。

ですので、相手の言葉や行動に現れていて見えるもの=すでに判断された結果を見て、受け取り、自分の価値観・主観でそれに対する判断をします。

その時、もし「あなたが悪い!」「あなたはわかってくれない!」「こうに決まっている!」と信念対立による争いが起きた場合は、

相手には別のところに関心があるのでは?

という、相手の言葉や行動(その人の判断の結果であり、表面化したもの)ではなく、その奥にある相手の内側に意識を向け、知ろうとする姿勢が大切なのだなという学びの時間でした。

その状態に入ってしまっているときは、主観的だし、上で書いたように自分の正しさを証明しようとするモードになったりするので、自分自身(あるいは相手も含めた場の状態)をメタ認知するというのは難易度が高く、前回、「実践」がポイントと言った理由はここにあるのですが・・・

でも私たちは、自分の価値判断を押し通すことや、その正しさを証明することがしたいのではなく、お互いにとってより良い状態になることを目指したいはずなので、実践してできる時とできない時を繰り返しながら、自分自身との対話を繰り返していくことが大事なのだと思っています。

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