黙ったまま、目にいっぱい涙を溜め、口をギュッと結んでこらえる1歳

モンテッソーリ, 日々の気づき, 育児


昨日の夕飯中にふと気がついたら、私たちが食べ終わったカプレーゼのお皿に残っていたオリーブオイルを子どもが飲もうとしていた時のこと。
「まずい!」と思ってすぐにそのお皿は下げてしまったわけですが。


もうすぐ2歳になる息子は、ここのところどんどん意思が出てきて、自分でやっていること、やりたいと思っていることが阻害されると、泣いたり、言葉で強く抵抗を表現します。
もちろん昨日も、お皿を下げられた時に泣き始めました。

そこから父親と母親である私たちとのコミュニケーションがスタート。
伝えたのは、

・飲みたかったのに途中で止められちゃって嫌だったよね
・突然お皿を取られたからびっくりしたよね、驚かせてごめんね
・でも、伝えたいことがあるからお話を聞いてくれる?
・お皿に残っていたのは油だから飲んでしまうと○○の身体に良くないの、だから止めてほしくてお皿を下げたんだよ
・父も母も○○の身体を心配してやったことなの、だからわかってくれる?

というようなことだったと思います。
まず気持ちを理解しようと努め、話を聴く状態になれたか確認し、短く説明した、というだけのシンプルなことですが。

そしてその話をした後、しばらく子どもを観察していると、言葉も泣き声も発せずに黙ったまま、目にいっぱい涙を溜めながら口をギュッと強く結んで、じっと何かをこらえているような様子。
子どもの内側で何かが起きているように見えました。


後で夫婦で話したときに、
「あの様子はきっと、私たちが言っていることが頭ではわかっていて、でも心が追いついていなくて、自分の中で何とか頭と心の折り合いをつけようと頑張っていたんだろうね」
という風に2人で解釈したら、なんだかじーんとくるものがありました。

ほとんど自分だけに意識が向いていたところから、外と関わったりその関わりの中で起きることを受け入れたり適応しようとする段階へ、また少し発達の段階が進んだのだろうな、という成長を感じて。


そして、
1歳の子どもでもそうやって状況や背景を理解して自分で折り合いをつけようとするのだから、「まだ子どもだから」とただ教え込むのでも、「ダメ!」の一言で終えてしまうのでもなく、ちゃんとコミュニケーションによって伝えることは大事だな、と思ったり。

話した後に子どもの様子を観察しなかったら、子どもが今自分の中で何とかしようとがんばっているということに気づけなかったと思うから、子どもの様子を観察すること、観察しようとする姿勢でいることはやっぱり必要だな、と考えたり。

自分の思惑と、思い通りに事が運ばなかったという事象やそこで生まれた感情との狭間で、葛藤をなんとか乗り越えようとしたり、気持ちを整理して前に進もうとする人間のエネルギーや強さ、尊さみたいなものを感じたり。


食卓で起きた数分間のちょっとした出来事だけで、こんなに感じることや気付きをもらえる。私の人生や生活の中に味わいや彩りをくれる、そんな機会を子どもからもらえていることに感謝した日。

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