映画 『モンテッソーリ 子どもの家』

モンテッソーリ, 日々の気づき, 育児


先日、映画『モンテッソーリ 子どもの家』を観に行ってきました。
この映画はフランス最古のモンテッソーリ学校の2歳半〜6歳のクラスを撮影したドキュメンタリー。
監督自身にお子さまが生まれ、そのお子さまを育てる過程でモンテッソーリ教育に出会った後、お子さまにモンテッソーリの環境を用意するだけではなくご自身もモンテッソーリを学んで国際ディプロマを取得し、さらに映画化までしてしまうという・・・そのモンテッソーリ教育への情熱には驚かされます。


(C)DANS LE SENS DE LA VIE 2017


ドキュメンタリーなので映画そのものにストーリーがあるのではなく、2年3ヶ月という長期に渡る撮影によって、子どもがお仕事(と言われる活動)に取り組む様子や成長していく姿を捉えた映像に、マリア・モンテッソーリの言葉や監督の言葉がナレーションとして入っているような内容。

・ひとりひとりの子どもがそれぞれのお仕事に向き合って取り組む様子
・何度も繰り返し取り組み、できなかったことができるようになった姿
・誰かが失敗をした時、周囲にいる子どもが助ける姿
・年上の子どもが年下の子に教具(活動に使うもの)の使い方を教える姿

など、様々な年齢の子どもの色んな姿が捉えられているのですが、まるで自分がそのクラスの隅に座って観察しているようで、観ているだけでなんだか微笑ましい気持ちになります。
詳しい説明があるわけではありませんでしたが、ナレーションを補足的に聞きながら映像を見るだけでも、モンテッソーリ教育で大切にしている考え方について理解を進めることができる映画だと思います。

さて、前述したように映画の中ではモンテッソーリ自身の言葉がナレーションとして入れられていましたが、特に”集中”に関する言葉が多く用いられていたような印象を受けました。その映画の中で用いられていたモンテッソーリの言葉を記憶の範囲でいくつかまとめてみたいと思います。


”集中”とは何か?

・子どもは細かい正確な作業を求められると夢中になる・・・これを”集中現象”と言う
・この集中している状態は大人が作るものではなく、子ども自身が作るものである
・たくさんの物や言葉は必要ない、学びと自己実現のためには”集中”が必要
・言葉の世界(誘いかけ、紙芝居や読み聞かせなど)は気が散りやすくても、手を動かすことでは集中できる。そして、手先の器用さは知性の発達と関係がある
・気移りしやすい子どもに集中してもらうこと。集中することができれば子どもは驚くほど成長する
・モンテッソーリメソッドの本質は集中力の獲得にある
・何かに強く心を奪われ熱中するときには、乗り越えるべき何かがある。それを乗り越えると達成感を味わえる


”集中”するためには?

・子どもが何かをやり遂げたとき「できたでしょ、はい、じゃあ次の人ね」と多くの先生が言っているが、活動を自由に選べること、好きなだけ繰り返せることが集中現象の条件


大人(教師)はいかにアプローチすべきか

・教師の謙虚さがすばらしい結果につながる。子どもに主導権を渡し、大人が受け身になること
・子どもの能力が自然に伸びるように手助けする。大人が受け身に回れば子どもは自然と成長する、そうすれば子どもは素晴らしい飛躍を遂げる
・無理強いさせると自分の意志を持てなくなる。目標はやる気を育てること
・あらゆる進歩の土台である意欲を奪わないために指摘はしない。大人が途中で口を挟むことは、子どもが自分で気付く楽しみや興味を失ってしまう
・子どもに興味をもたせる、そしてやり方を見せる。子どもは興味を満たせるものであれば何度でも繰り返してやる
・褒美を与えたり、罰を課すことはない。そして活動や集中の障害となるものを置かない


子どもに向き合う姿勢、子どもの自信や自己肯定感につながる言葉 〜 印象的だったシーン 〜

映画の中で、個人的に印象に残ったシーンが3つありました。

①教師が新しいお仕事を提供している時の、自分のやりたいことに出会えた(「これやりたい!」)という子どもの喜びに満ちた表情

②教師が①を行っている最中に他の子どもが声をかけてきた際、「今は君とは話すことができない、目の前のこの子に全てを捧げているから」と教師が答えたシーン

③カミーユという子が描いた絵を、他のお友達に「かわいくない」と言われてしまった時、「(どう思うか)聞かれたのかい?聞かれていないなら言っちゃいけないよ。可愛いかどうかはカミーユが決める。これはカミーユの絵だから。」と先生がお友達に伝え、「カミーユ、きみはどう思うの?」と本人に聞いたシーン


上記はもしかするとモンテッソーリ教育特有のアプローチなのかもしれませんが、とても印象的なシーンとして記憶に残ったのと同時に、自分の日々の子育てに置き換えてみると色々と考えさせられてしまいました。


①のように、子どもが喜びや欲求に満ち溢れるような、やりたいことに出会える機会や環境を提供できているだろうか?

自分自身が仕事、家事、趣味など日々やることや考えることに追われている中で、②のように「今、目の前のこの子に向き合っている」と言える時間をどれだけ持てているだろうか?

③で先生が言ったように子どもは自分の価値観や考えを持っていて良いし、それを尊重するべきだけど、私たち大人が横から「これ可愛いね」「上手にできたね」「もうちょっとこうした方が良いんじゃないかな」と大人の価値観で言葉をかけたり誘導してしまったりしていないだろうか?


もっと言うと、
成長していく過程で色んなコミュニティや社会の中で生きていくと、そこでの価値観や評価にさらされ少なからず影響を受ける(例えば、大人でも周りの目や評価を気にしたりすることがある)と思うのですが、③の先生の言葉は、周りの評価や判断によって自分を捉えるのではなく「私はこう思う。ありのままの私で良いんだ」と思えることに繋がるような気がしました。
とっさにこの子どもの人格形成を援助するような言葉をかけられるのがすごい・・・。このような声かけや子どもへの関わりの繰り返し・積み重ねが、子どもの自信や自己肯定感を形成することにつながっていくのかもしれないですね。


大人から子どもへの声掛けのひとつひとつも、関わり方も、子どもの人間形成の要素になっていると思うと本当に丁寧に向き合いたいなと思うのですが、私にはとっさにこのような声かけをすることはなかなかできないので、日々、「この言い方で良かったかな」「もっとこういう風に伝えたほうが良かったかな」と悩んだり、迷ったり、反省したりの繰り返し。

私も親としては子どもと同じまだ1歳。
まだまだ未熟だけど、これからも子どもを通して少しずつ学んでいったり、どんどん新しい世界を見ることができるようになっていけると良いなぁと願いを込めて。

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